最高裁判所第二小法廷 昭和61年(行ツ)40号 判決 1988年2月19日
北海道北見市番場町二番九号
選定当事者
上告人
納谷興平
(選定者は別紙選定者目録記載のとおり)
北海道北見市番場町二番九号
右補助参加人
有限会社ハニーハウス
右代表者代表取締役
納谷興平
北海道北見市青葉町一三番地
被上告人
北見税務署長
林繁男
札幌市中央区大通西一〇丁目
被上告人
札幌国税局長
友浦栄二
右両名指定代理人
植田和男
右当事者間の札幌高等裁判所昭和五十九年(行コ)第三号更正処分取消等請求事件について、同裁判所が昭和六〇年一一月二六日言い渡した判決に対し、上告人及び上告補助参加人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人、上告補助参加人の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当とし是認することができ、その過程に所論の違法はなく、所論引用の各反例に抵触するところもない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。また、記録に現れた本件訴訟の経過によれば、原判決に訴訟手続の違背その他所論の違法はない。論旨は、原判決を正解せず、独自の見解に基づき原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法奈条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野久之 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)
選定者目録
北海道北見市番場町二番九号
選定者 納谷カツ
札幌市北区新琴似三条一二丁目一〇の二〇
選定者 太田侑子
埼玉県戸田市喜沢二丁目四番地の二
選定者 納谷彬一
北海道北見市番場町二番九号
選定者 納谷興平
(昭和六一年(行ツ)第四〇号 上告人 納谷興平)
上告人、上告補助参加人の上告理由
第一点 原判決は更正処分の違法事由の存否認定上、判断・手続の過誤による法令の違背ないし釈明義務の違背等があり違法である。
一、原判決には所得の帰属認定について、論理則上ないし経験則上の違背ならびに理論の飛躍があり、かつ証拠の取捨についての理由の開示を欠き、または不十分であるとともに、注解釈の誤りないし挙証責任分配の法則に関する最高裁判例に反し、かつ釈明義務の違背がある。
1 原判決の所得の帰属についての論旨の要点は、次の通りと解される。
(1) 事業所得の帰属の判断の基礎とする判例
「権利能力なき社団といいうるためには、団体としての組織を備え、多数決の原則が行われ構成員の変更にかかわらず、団体が存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定していることを要する。」(最高裁判所昭和三九年一〇月一五日判決、民集一八巻八号一六七一頁)
(2) 事実認定のための証拠
甲第一二号証の一ないし二、甲第五〇号証、甲第五一号証の一ないし二、乙第九ないし一〇号証、乙第一六号証の一ないし二、乙第一七ないし二二号証(乙第一九・二〇号証については措信しない部分を除く。)乙第六号証の一ないし二、乙第一三号証、甲第五ないし七号証、甲第九号証、甲第一一号証、甲第一三号証の一ないし三、甲第一九号証、証人佐藤彬、証人山吹智司、同藤原繁治、同大石清重、同小島信夫、同羽賀新一郎の各証言、原告本人尋問の結果(原・当審)
(3) 主要な事実認定
<1> 協力会は原告親子が中心となつて開始した金銭配当組織である。
<2> 大次郎は右の開始に当つて後輩会員の募集を行なつた。
<3> 大次郎は協力会を主宰運営するために自己を協力会の会長に選任した。
<4> 発起人会は、役員会の開催事実はあるが名目にすぎない。
<5> 協力会の仕組みは「無限連鎖講防止に関する法律」(以下単に「無限連鎖講防止法」という。)二条に規定する無限連鎖講である。
<6> 規約には公益的事業を行なうことを主目的として掲げられている。
<7> 昭和四五年中に社会福祉業へ五五万円寄付され、会員利用施設建設基金へ四〇〇万円積立られ、JMS共済会なる交通傷害共済制度へ二〇〇万円出資され、その他会員に対する交通傷害共済保険が掛けられていた。
<8> 昭和四五年中の寄付金総額は収入金額に対する比率がわずか三%にすぎず、交通傷害保険も会員に格別特典といえるものでなく、前期積立金もいつの間にか取崩されていた。
<9> 協力会の発起人会は昭和四五年一〇月六日、昭和四五年終始決算承認についての役員会は昭和四六年三月九日に開催され、同承認のための通信総会は昭和四六年三月に開催された。
<10> 協力会の規約は発起人八名という一部会員で制定されたもので多数意思に基かない。
<11> 規約に定める通信総会は通常総会とは認められない。
<12> 通常総会が招集開催された事実はない。
<13> 規約上の会長選任手続に不備、欠かんがある。
<14> 原告親子を除く他の役員は協力会の運営、財産管理を大次郎に一任しこれに関与することがなかつた。
<15> 協力会組織は事実上解散状態にあるのに、清算手続は何ら執られていない。
<16> 協力会の登録手数料収入の出納管理は最終的に大次郎の自由意思によつて行なわれていた。
<17> 預金は「MB相互協力会会長納谷大次郎」等の名義で開設され預け入れられていた。
<18> 前記預金は後日自由に払い出され費消されて、昭和四五年末から昭和四七年末にかけて払い出された右預金の使途は不明確なままである。
<19> 協力会の基本財産として積立られていた会員利用施設建設基金四〇〇万円とJMS共済会出資金二〇〇万円が取崩し費消された金額につき、大次郎が他会員や役員会に諮つた形跡は全く窺われない。
(4) 証拠の取捨判断
前記(3)の事実認定に当つて、この認定に反する部分の存在する甲第五八ないし九二号証、乙第一九ないし二〇号証及び証人藤原繁治、同大石清重、同小島信夫、同羽賀新一郎の各証言、及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前記(2)の各証拠と対比して措信せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない
(5) 結論
右(3)認定の事実によれば、協力会は未だ権利能力なき社団として評価するに足るだけの組織実体を備えていたとはいえず、大次郎が個人の事業として主宰運営するいわゆるねずみ講であつたというべきであるから、登録手数料による収入金額から必要経費を差し引いた金額は大次郎個人の事業所得に該当するものといわなければならない。
2 前記1・(1)の判例については、控訴理由に詳述したように、本件のように独立課税単位とその代表者個人との間の法律上の帰属関係を判別して、その課税主体を決することを趣旨とする判断の論理的基準としては、抽象的に過ぎ、公知の事実として存在する小は二、三名の同好会から、大は全国組織としてみた青色申告会、法人会に至るまでの事実対照を包含する法概念としての「権利能力なき社団」の成立要件につき、法の格別の規定がない以上、独立課税単位としてみた社団と代表者個人との法的限界を律すべき見解についての判示は不可欠であるにもかかわらず、原判決はこれを回避しているため前記(5)にあるように「協力会は未だ権利能力なき社団として評価するに足るだけの組織実体を備えたとはいえない」として、これを理由に直ちに「大次郎が個人の事業として主宰するねずみ講」であり、協力会の収益金は大次郎個人の事業所得であると結論づけるという、論理の飛躍をなしている。
なぜなら、「権利能力なき社団」についての法律上の定義規定が存在せず、かつ「権利能力なき社団」でない組織実体は代表者個人であるないし、みなすとういうような規定がない以上、社団性の否認事由が直ちに個人所得の帰属理由とはなり得ないからである。
3 前記、1・(3)の主要な事実認定は、<12>でいう通常総会が全会員が一堂に出席して行なう会員大会をいうものであるならば事実、<9>の通信総会は昭和四六年二月二八日に発議され、書面決議日が四月一〇日であつたところから三月と認定したのであるならば事実であるほか、<6>、<7>、<15>、<17>のみが真実で、その他は誤認ないし解釈の誤りであるとともに、客観的に明白な証拠と事実認定との間の判断には論理上ないし経験則上の違背ならびに釈明義務の違背がある。
(1) 甲第五号証、甲第五八ない六三号証の各書証の署名押印は証人藤原繁治、同羽賀新一郎、同大石清重、同小島信夫、同納谷興平の証言により各自の意思に基き自署押印され真実に作成されたものであることにより客観性を有し、かつ甲第五号証においては、「発起人の互選により会長には納谷大次郎氏を選出し」と明記あり、甲第五八ないし六三号証においても「三、発足当時は発起人会が中心となつて主に北見青色申告会の青年部婦人部員ならびにその家族、従業員から趣旨賛同物を集め、協力金が平均に行くように配慮しながら位置決めと承諾を取つて発足しました。四、会長に納谷大次郎を発起人会が選び就任を懇請し、事務局は専務理事納谷興平に委任しました。」と明記されており、これらの確たる証拠に基づけば前記1・(3)・<1>の「原告親子が中心となつて」との認定は「発起人会が中心となつて」の誤りであり、また1・(3)・<2>の事実は「発起人らは右の開始に当つて主に北見青色申告会の青年部婦人部員ならびに家族、従業員から入会希望者を募つた。」の誤りであり、前記1・(3)・<3>の事実は、「大次郎は発起人の互選により懇請されて会長に選任された。」の誤りであるにもかかわらず、原判決が、前記1・(3)・<1>ないし<3>のような事実認定をなしていることは、明らかに客観的に明白な証拠と事実認定との間の判断に論理則上の違背がありかつこれらの確たる証拠を排斥して措信しなかつた理由も明示されていない。
(2) 甲第三〇号証ならびに乙第九号証と甲第一三号証の一ないし三および甲第三五号証(甲第三〇号証と同一内容の乙第九号証の勧誘手紙文と甲第一三号証の一ないし三の様式の推せん加入カードにつき、甲第三五号証記入実例を提示して、これらの書類をもつて会員間の推せん加入勧奨ならびに協力会への加入手続がすすめられていた事実は、証人藤原、同大石、同小島、同原告興平の証言によつて明白に立証されている。)等の推せん加入手続書類からみて、先輩会員二名に贈る協力金は送る者と送られる者との間に対価性はないから、無償の贈与金であるとともに、後輩会員から受取る協力金も同様に無償の贈与金であり、かつ本部である協力会に送られる登録手数料は、協力会の主目的である会員の利用施設建設基金への積立と交通傷害共済等の会員福利ならびに管理運営費に充てられるための回避であつて出資金でないことは、甲第三〇号証の勧誘手紙文の「本部へ送金されたお金は」の蘭に明示されている以上、協力会の組織全体としてみた場合、推せん加入手続上に協力金送金システムを採り入れたものであつたとしても協力会本部自体は右主目的のために設立され管理運営されていたものとして会員互恵協力組織と言いものであつたことは客観的に明白であるから、会員同志の協力金送金システムが、結果的に各会員において自己の支出金よりも多く後輩会員から協力金を受取りうる可能性があつたというだけで、そのような仕組みを加入手続に採り入れているというだけで、協力会本部自体を金銭配当組織と断定することは、協力会本部自体が不特定多数の者を対象として会員を募集し、会員と会員との間で業として仲介を営んでいた事実を立証し、かつ会員間ないし会員と本部間の法契約上の法律関係を明らかにした上法律判断をなすことなく、かかる認定をなし得ないにもかかわらず、外形上の判断のみによつて前記1・(3)・<1>にあるように原判決が協力会を金銭配当組織と認定していることは即断にすぎ不合理である。
(3) 甲第五号証ないし甲第一一号証および甲第一九号証、甲第五八ないし九二号証の各書証になされている各署名押印について、これらは全て各署名者本人の意思に基き署名押印されたものであることは、証人藤原繁治、同大石清重、同小島信夫、同羽賀新一郎、同納谷興平の各証言ならびに筆跡、印影よりして客観的に明白かつ通常信ずべき証拠であり、協力会の設立目的と原告親子以外の発起人ないし役員が協力会の運営に関与していたか否かの事実認定上、被上告人主張事実の有力な証拠と思われる乙第一八号証の陳述内容との食い違いについて、二審証人尋問当日の、預金の取崩しや会の運営に対する関与の証言内容を確認するため乙第一八号証の税務署の事情聴取で何も知らない、関与していない旨の陳述とそうではなかつた旨の尋問当日の証言のうちどちらが正しいのかを訪ねた裁判官の質問に対し、協力会の監査であつた証人大石清重の「今日のが本当です。」との証言、ならびに協力会の目的は「当初会員施設の建築」にあつた旨の証言、同じく乙第一七号証の陳述と尋問当日の証言の食い違いならびに協力会の設立目的についての証人藤原繁治の「役員もしていましたので事務所に再三行つていました。」事情聴取の中で積立金の取崩しについて自分は知らないと述べたことについて「税務署で間違つて述べたかも知れません。」との証言、協力会の目的は金儲けではなく会員の福利厚生にあつた旨の証言、同じく乙第二一号証の陳述に関連し、同小島信夫の事情聴取をした税務署職員に「税金来るかもしれないよ」と言われた事実や協力会関係書類のどんな書類に印を押したかよく分らない旨の事情聴取時の陳述は誤りであつた旨の証言、協力会の趣旨は金儲けではなく青色会館建てたいという青色青年部員の話し合いから始まつた旨の証言、証人羽賀新一郎は他の役員たちに比べ欠席がちであつたが、欠席した時は事後承認により関係書類に署名押印した旨の証言ならびに同証人の事情聴取前の昭和四七年七月一五日頃同証人の米穀店に所得調査が行われた事実(この事実は上告人が昭和五九年九月一八日付準備書面一・3で主張しかつ被上告人はこの事実を争つていないので、同証人の実父で事業主であつた羽賀儀一に対する所得調査票の文書提出命令の申立を裁判長の勧めにより取下げたものであるが、この事実は争いのない事実である)等の確かな証拠を勘案すれば、協力金送金システムの無限連鎖講との外形的類似性(内的法律関係においては全く独自の法契約に基く会員互恵協力組織として異なる)のゆえに、甲第四八号証の記事にあるような熊本事件の掲示責任追求報道が昭和四七年三月七日の内村所長起訴以後連日行なわれ、同年四月の二〇ないし二一日には協力会ならびに大次郎所有財産に対する国税局の調査ならびに差押がなされるという緊迫した状況下において誘導説得工作ないし事業所得調査がらみでなされた同年の七ないし一〇月にかけて行なわれた税務署の事情聴取に対しては甲第一九号証の覚書の2の取り決めにもかかわらず、熊本事件と同様の結果にならぬように、あるいは円満早期解決を配慮して多少事実を歪めたかたちの誤つた陳述が乙第一七ないし一八号証及び乙第二一ないし二二号証の聴取書上で記録されていたことは明白であるにもかかわらず、右聴取書の内容を全て真実として判断の基礎とし、前記1・(3)<4>にあるように発起人会、役員会を名目と断じ、かつ上告人側証人の誰れ一人として協力会が大次郎個人の金儲け事業であつた旨の証言をなした者がいないにもかかわらず、これを大次郎個人の営利事業であるとの認定を前提に前記1・(5)のように結論した原判決は、通常証拠価値の少ないものに措信し、通常信ずべき証拠を措信せずとして排斥したものであり、このような場合には証拠取捨の理由を記載すべきものであるにもかかわらず、何ら掲記されていない。
(4) 協力会は、無限連鎖講防止法二条の定義からみた場合、同条文に明記された「金銭配当組織」に当らないことは、前記(2)にも述べた通りであるから、協力会の加入手続に無限連鎖講的な仕組みが取り入れられていることのみをもつて協力会本部自体を無限連鎖講と認定してしまうことは即断にすぎ、かつ本件所得の帰属事由として、ないし社団性の否認事由として何らの法的因果関係を有せず、右関係についての説明判示もなされていないことは論理の飛躍であり、解釈の誤りである。
(5) 前記1・(3)・<8>の原判決の判示する見解は、昭和四五年中の協力会の活動期間がわずか三ヵ月に限られ、しかも放物線的に異常な会員加入状況で、会活動はその正確な加入手続の事務処理に全力集中えざるを得なかつた実情、加えて昭和四六年六月の熊本事件の表面化の波及による会員加入の途絶の仕方も異常であつた事実は上告人側証人の各証言により明白であるから、このような実情を無視した見解に基づくものであり、原判決は歪曲した不公平な判断と言うべきである。
(6) 前記1・(3)・<4>にあるように発起人会、役員会を名目にすぎないと断じながら、同<10>においては、発起人会で規約が制定された事実を認定しているが、仮に発起人会、役員会が名目にすぎないなら、発起人会ないし役員会なる実体は存在せず、規約を制定したことにはならないにもかかわらず、原判決は発起人会が規約を制定した事実を認定していることは論理矛盾である。
(7) また前記1・(3)・<10>にあるように、規約は発起人八名の一部会員だけで制定されたもので多数意思に基かないと判示して暗にその無効を指摘しながら、これが無効とも有効とも明確にせず、もし仮に、無効だとするならば、同<11>におけるように、規約に定める通信総会は通常総会として認められないとか、同<13>におけるように、規約上の会長の選任手続に不備、欠缺があるとの判示をなすことは、前提無効により判断不要なるものを、有効を前提として判示していることは論理矛盾であり、もし有効だとするならば、前記1・(3)の<1>ないし<4>の認定が論理矛盾により当らず、かつ多数意思が形成されていたことになる。
(8) 協力会の加入手続システムが先輩会員二名に協力金を送金したのちに登録手数料を本部に送金し、手続が不備なく完了したとき会員の資格をことになつていたこと(甲第一三号証の一ないし三、甲第三〇号証、乙第九号証、甲第六号証、甲第三五号証、上告人側証人の証言により立証)からすれば、協力会が正式に発足したことになるのは規約を制定した最初の設立発起人会が開催された昭和四五年一〇月六日であり、この日を協力会発足の起点として認定することが打倒とすれば設立発起人会は設立総会そのものと認定し得るから、それ以前の入会希望者からの登録手数料収入は預り金と解され、八名全員の多数意思に基き会長が選任され規約が制定されたものと解し得る。
(9) 原判決が、規約は八名の一部会員だけで制定されたものであるとの判示は、明らかに設立発起人会が開催された昭和四五年一〇月六日以前の九〇名余の加入希望者を有資格会員として認定したものであるが、甲第五八ないし六三号証の陳述書に「三、発足当時は発起人会が中心となつて主に北見青色申告会の青年部婦人部員ならびにその家族、従業員から趣旨賛同者を集め、協力会が平均に行くよう配慮しながら位置決めと承諾を取つて発足しました。」との記述があり、これによれば昭和四五年一〇月六日以前は準備段階と解されるから、前記(8)の見解が妥当であるが、もし仮に加入手続の完了していない加入希望者全員に対して規約の制定をはからなかつたことが多数意思に基かないから無効だというならば、同時に大次郎が会長として発起人会で選任された事実も認定し得ず、かつ会長たる地位も法的に無効であることになり、協力会の代表者たる資格も有しないことになるが、反面、準備段階から社団性があつたことを認めるものであり、大次郎が協力会なる金銭配当組織を営利事業として開始した主催者として、その収益金を課税所得として大次郎個人に帰属せしめた原判決の結論と明白に論理上矛盾する。
(10) また、通信総会であつても総会である以上、開催された事実は原判決も認めているのであるから、通常総会でなければ総会と認められないとする規定や判例がある訳ではないから、通信総会と対比として手段が異質であることのみをもつて無効と断定することはできない(ニユーメデイアの発達次第ではこの手段は郵便に止まらなくなる)から、前記1・(3)・<11>の判示は法的に無意味であると同時に、通信総会で承認された協力会の昭和四五年分収支決算書ならびに事業報告書が無効とも有効とも原判決は明確にしていない。
無効なら帳簿書類書類否認による更正に当らないことを前提とする更正理由附記に関する判示と矛盾し、有効なら協力会の収益金を大次郎個人に帰属せしめようとする前提に矛盾することになるからであろう。
(11) 前記(3)に述べたように、甲第五号ないし一一号証、及び甲第一九号証、甲第五八ないし九二号証の各書証ならびに上告人側証人五名の証言によれば、一五年前の事実についての証言のため記憶が薄れて来ていることもあり、各証人の表現の仕方に差異はあれ、各書証の署名押印は各署名者の意思により自己の印鑑によつてなされた旨の証言により発起人全体の事実認識の共通意思は、甲第五八ないし六三号証の陳述書に統一されて客観的に明白に立証されているにもかかわらず、前記1・(3)・<14>にあるように「原告親子を除く他の役員は協力会の運営、財産管理に関与することがなかつた。」との事実認定をなしていることは論理則ないし経験則上、採証の法則上違背があると言わざるを得ない。
(12) 甲第九ないし一〇号証、甲第一九号証、甲第五八ないし九二号証、及びその各書証に署名押印した上告人側全証人の署名押印が真正であることの各証人の証言によつて真成に成立したものである以上、前記1・(3)・<16>にあるように大次郎の事由意思によつて出納管理が行なわれていた旨の事実認定は、論理則ないし経験則採証の法則に反するものであり、かかる事実認定に反する部分の証拠を措信せず排斥した理由も原判決は明示していない。
(13) 昭和四五年末の普通預金残高合計八六八万九五〇〇円の払出し使途は、第一に、昭和四五年末すでに権利が発生している未払金の処理に二七〇万九四二〇円費消されて残高五九八万〇〇八〇円、第二に、昭和四六年中の協力会の管理運営費に四六九万五五六七円費消されて残高一二八万四五一三円、第三に、昭和四七年中の協力会の管理運営費に一二六万八六二五円費消されて残高一万五八八八円となつたものであるが、第一の未払金の内訳は、乙第一三号証に明記されている通り原告興平に対する未払金、二六九万六七〇〇円ならびに預り金一万二七二〇円であり、かつその未払金等は昭和四五年中に発生した専用実施権料等の債務で架空のものでなかつたことは、一審証人山吹智司の「払うべき性質の金だつた」という証言により明らかに立証されており、第二の、昭和四六年中の管理運営費の金額は甲第一一号証の協力会の収支決算書の昭和四五年末現金残高九万七六三五円に、甲第六九号証の昭和四六年度決算の収入の部合計一〇五八万六四八八円から内部振替科目の合計六九六万五〇〇〇円(内訳、建設基金積立金繰入額四〇〇万円、共済会への出資金戻入額二〇〇万円、研究者が協力会から受ける委託料収入六〇万円、共済会が協力会から受ける入会金七万三〇〇〇円、同じく共済掛金収入二九万二〇〇〇円)を控除した金額三六二万一四八八円を加算し、同号証の支出の部合計九二七万一七一七円から内部振替科目合計九六万五〇〇〇円(内訳、協力会が共済会へ払つた入会金ならびに会員共済掛金三六万五〇〇〇円、協力会が研究所へ払つた委託費六〇万円)を控除した金額八三〇万六七一七円を減算しさらに昭和四六年末現金残高一五万八三一三円を減算し、年末預り金五万〇三四〇円を加算すればマイナス四六九万五五六七円として算出されるものであり、これを分りやすく記載したものが甲第四九号証(現金残高一五万八三一三円、預金残高一二八万四五一三円で甲第六九号証と甲第四九号証が一致している以上同一の算出結果となることは明白)であり、さらに第三の、昭和四七年中の運営費管理費も繰越一五万八三一三円から繰越預り金五万〇三四〇円を控除後の金額に、甲第七三号証の昭和四七年度決算書の収入の部合計六五万六一六九円から内部振替科目である委託料収入金額六〇万員を控除後の金額五万六一六九円を加算し支出の部合計二二八万一二〇〇円から内部振替科目である委託費六〇万円を控除後の金額一六八万一二〇〇円を減算した上、さらに昭和四七年末現金残高二万一八〇七円を減算後、年末預り金一万八二四〇円、同未払金二万三四四〇円、同仮受金二万八五六〇円をすべて加算することによつてマイナス一二六万八六二五円として算出されるものであり、各年中の管理運営費の科目別明細は、甲第六九号証および甲第七三号証の各年分の決算書に明記され、かつ役員らの署名押印が真実になされたものであることが各証人の証言で明らかである以上、昭和四六ないし四七年度分の協力会の収支決算書が役員会に承認された事実が明白となつている確かな証拠がありながら、原判決はこれを排斥して措信せずに、前記1・(3)・<18>にあるように、原判決は「預金は後日自由に払い出され費消されて、昭和四五年末から昭和四七年末にかけて払い出された右預金の使途は不明確なままである」との判示をなしていることは、論理則上許されず、上告人のみならず上告人側証人らの名誉にかかわる重要事項であるから、証拠取捨の理由も記載すべきものがあるにもかかわらず、その明示もない。
(14) 甲第一一号証、甲第六九号証、甲第七三号証から前記(13)に記したように預金払い出し使途の推量は可能であるが、この計算過程についての上告人の説明主張不足ないし資料不足であるから、原判決が使途不明確と断定したのか、右の三年分の決算書を承認した役員会議事録関係書類についての証拠が虚偽であると判断したから措信しなかつたのか、措信したどの号証ないし証言と右三年分の決算書に関わる右三つの号証との、どの部分が一致しないから措信しないというのか、右三つの号証の各書証に掲記された昭和四五ないし四七年分の収支決算書は非営利法人会計の決算書様式に従つているため、どうしても繰越金額が負債を控除した形式となるため、及び内部事務機構としてJMS共済会ならびに研究所を分離経理し、これを協力会へ統合一本化して確定決算を行なつているため、その他の甲号証の説明資料と一致しないところがあるかも知れないが、各年末の現金ならびに預金残高が甲号証ないしは乙号証とさえ一致している限り、その結論(残高)に至る計算過程は計算目的と視点をかえれば明確に説明しうるものであるが、この点についての上告人の主張、証拠不足があるとすれば、訴訟の専門家ではない上告人に釈明を求めず、短絡に「不明確」と判示した原判決は、後見的役割を任う裁判所の釈明義務に違背があると言わざるを得ない。
(15) 甲第六五ないし八一号証および甲第八二ないし九二号証の各書証になされている署名押印は各署名者本人の意思により自己所有の印鑑によつて押印されていることは、上告人側証人五名の証言により客観的に明白である以上、これらの確たる証拠によれば、積立金の取崩しと取崩された現預金の使途については常時役員らと協議の上出納管理を行なつていた事実が立証されているのであるから前記1・(3)・<19>にあるような「取崩し費消された金額につき他の会員や役員会に諮つた形跡は全く窺われない。」との認定結論を出すことは論理則上許され得ないにもかかわらず原判決はかかる事実認定をなし、かつ右の確たる証拠を措信せず排斥した理由も欠いている。
(16) 事実認定は自由心証主義の下においても適法に訴訟に提出された資料に基づいてなされること、かつかかる資料は全て斟酌することが要求されるから、判決理由中で、どれだけの資料から、どうして確信を得たのかの経路を、常識のあるものが納得できる程度に掲げなければならないにもかかわらず、原判決中、前記1・(4)にあるように、原判決の事実認定に反する部分の証拠があることを明示しながら、どの事実認定についてどの証拠のどの部分がどういう根拠により措信するに値しないのか、どうしてそのような確信を得たのかについての開示がなされずに「前掲各証拠と対比して措信せず」では、どの証拠とどの証拠とを対比して、どの証拠が措信するに値しないから、どの事実を認定するに至つたのかの判別およびその論理過程は分らず、これではどうしても適法な事実認定とは言い難く、これにより当然原判決は訴訟手続上の違背、法令の違背があると言うべきである。
(17) 原判決が掲記した前記1・(4)にあるような事実認定に反する部分の各証拠部分と、原判決が事実認定の根拠とした前記1・(2)にあるような証拠を対比して明らかになることは甲第一二号証の一ないし二の道新記事によれば、昭和四六年六月五日に熊本の第一相互経済研究所が手入れを受けた事実とともに、札幌国税曲が協力会を含めて、「これまでのところ、いずれも法人税・所得税の申告所を提出しており、税法上の問題はない」と言明していた事実、甲第五〇号証と乙一六号証の一ないし二によれば「MB相互協力会会長、納谷大次郎」名義の預金口座が開設されていた事実、甲第五一号証の一ないし二によれば、北見市や遠軽町に対する寄付金の寄贈名義は「MB相互協力会会長納谷大次郎」であり個人名でなかつた事実、乙第九号証によれば、協力金送金システムとともに、協力会本部へ送金されたお金が運営費と会員利用施設建設基金積立と交通傷害保険等に使われるという協力会の主目的が会員に知らされていた事実、乙第一〇号証によれば、その会長の挨拶記事にあるように大次郎は協力会を自己の営利事業としてではなく社会福祉事業であるとの認識に立つていた事実、乙第一七ないし二二号証と甲第五八ないし九二号証ならびに上告人側証人五名の証言を対比勘案すれば、熊本事件の内村所長が起訴された昭和四七年三月七日(甲第四八号証)と同じ年の昭和四七年七月および一〇月にかけて行なわれた税務署の事情聴取、証人小島信夫、の証言によれば税務署員に「税金来るかもしれないよ」と言われた事実、証人羽賀新一郎については、昭和五九年九月一八日付準備書面一、3で控訴人がなした主張事実に対して被控訴人がこれを争つていないことにより、同証人の米穀店に対する所得調査が昭和四七年七月一五日頃行なわれていた事実等の間接的威圧を背景としてなされた事情聴取に対しては、協力金送金システムの外形的類似性のため、同様の刑事責任が発生するかもしれないという不安とともに、証人各自身と原告親子ならびに税務行政に協力していた立場上円満早期解決の配慮から真実を歪めたかたちの陳述部分がなされていた事実、乙第六号証の一ないし二によれば課税庁は協力会の収益金を大次郎個人の所得と認定せしめることを所期の目的として違法な事前調査を行なつていた事実、しかし同号証によれば大次郎に帰属していた給与収入は六一万四七〇〇円であつて、乙第五号証の同人の確定申告書二面の給与収入金額と一致しており、他に帰属した金額は存在しなかつた事実、乙第一三号証によれば協力会の預金残高合計は昭和四五年末八六八万九五〇〇円、四六年末一二八万四五一三円、四七年末一万五八八八円で、証人山吹智司の証言からも、甲第一一号証の昭和四五年収支決算書上の預金残高金額五九八万〇〇八〇円は昭和四五年中に発生した原告興平に対する未払・預り金債務合計二七〇万九四二〇円を四五年末預金残高合計八六八万九五〇〇円から控除したものであつた事実、甲第一九号証は、上告人が主張して来た発足当初の登録手数料収入使途目標あん分率および、協力会収入金の帰属に関する確認事実、上告人側証人五名の証言によれば甲号証全書証中、各証人名の署名押印は本人の意思と本人の印鑑によつてなされたことにより真実に作成された事実、特に甲第五八ないし六二号証によつて発起人らの、協力会発足当初からの経過事実ならびに協力会は任意団体で、大次郎が営利事業としてなしたものでないことについての共通の認識が確認されている等上告人主張事実が立証されるのみで、これらの事実を総合しても、前記1・(3)の<1>ないし<5>、及び<8>、<10>ないし<14>、<16>および<18>ないし<19>の事実認定がなぜなされ得るのか、常識的にみて納得できる合理性はない。
4 前記3に述べたように、原判決の事実認定は違法であるとともに、客観的に明白な上告人提出の全証拠を勘案すれば、協力会は権利能力なき社団と解されるとともに、少なくとも原告親子はそう解して協力会の運営管理を行なつて来たものであるが、もし仮にこれが前記1・(1)にある判例上の社団たる成立要件に欠けることがあると解せられる点があつて前記1・(5)にあるように未だ権利能力なき社団として評価するに足るだけの組織実体を備えていたとは言えないとの原判決の判示が妥当であつたとしても、本件は被上告人署長がなした課税処分の適法性を争うことが主眼であることからすれば、仮に協力会の収益金が課税所得であると仮定して、課税所得の法律上の帰属者が不明確であると解される場合(少なくとも原判決の事実認定に反する部分の存在する甲号証ならびに上告人側証人の各証言の証拠価値からして上告人側主張事実の証拠と一致する部分の多く存在する前記1・(2)の証拠によつては原判決の事実認定の不正確さは、論理則上ないし経験則上隔日であるゆえ)、経済上の帰属者は大次郎であつたか否かの判断基準をみても、昭和四五年中大次郎が収益享受した金銭は乙第六号証の一ないし二によつては、使用者としての給与収入六一万四七〇〇円(「否認」との記載があつても、これは被上告人が後にいうところの法的評価の意味しか解し得ず、何ら法的評価の具体的根拠事実を立証するものではないであろうから)しかなかつた事実、乙第一三号証によつても昭和四五年末から昭和四七年末にかけての預金残高合計が立証されるのみで、むしろ甲第一一号証、甲第六九号証、甲第七三号証の記載する預金残高合計が一致することにより、各年分の協力会の決算が正確であつたことが裏付けられ、その間の費消された金銭の使途が明確に立証されることにしかならず、何ら大次郎個人が自由勝手に費消した金銭の立証にはなり得ない。
5 とすれば何をもつて協力会の収益金を大次郎個人に帰属せしめる合理的基準で、いかなる事実がその決定的要件であるのか、社団たる実体を備えるに至つていないとすれば、前記1・(1)の判例のどの要件がどのような事実をもつて欠くと解せられるのか、論理矛盾なく説示され得るのか、新判例が必要とすればどのような要件が付加されるのか。その判例は、公平の原則に適うものであるのか。社団とは認め難いからといつて大次郎個人の生活と生業の源泉たる物件とは所在並びに活動の本拠を異にし、「MB相互協力会」という独自の名称をもち、預金ならびに寄付金名義は「MB相互協力会会長納谷大次郎」名でなされ、その帳簿書類も生業である不動産所得にかかわる帳簿書類と明確に分離され、収支決算も適正になされているため「帳簿否認による更正もできず、かつ、役員会の承認と通信総会による承認がなされている昭和四五年分の協力会の収益金を、なぜ会長たる大次郎個人の所得として、直ちに帰属せしめうるのかの理由付けが原判決においてはなされていないし、あつても論理則ないし経験則に違背し、採証の法則に反し、ないしは注解釈の誤りによる事実認定が大半であり、これが正確になされず、かつ法の格別の規定の適用ないし新判例なくして、直ちに「協力会の収益金を大次郎個人の営利事業」と断定した結論には、明らかに誤つた事実認定を前提とした論理の飛躍がある。
6 課税処分の適法性の立証責任という観点からみれば、最高裁判所はこれまでに「所得税の課税について所得の存在およびその金額については課税庁が立証責任を負う」(最高裁昭三八・三・三、訟務月報九・五・六六八)との判例を示しており、この判例に従えば上告人側提出の全証拠を斟酌すれば、本件課税処分を適法とする原判決の事実認定の大半は覆すに十分であり、また少なくとも原判決の根拠とする証拠によつては原判決の事実認定の大半は不明確なものと解されるから、これに対する確たる証明の責任は課税庁にあることになり、これがなされていない以上原判決は右記挙証責任分配の判例に照らし破棄されるべきである。
7 加えて、前記1・5にあるように原判決の結論部分において「ねずみ講」なる俗称をもつて判示していることは、原判決の法的判断の曖昧さを一掃明白にしている。すなわち、法律上「ねずみ講」なる用語は存在しないしその定義もない。これは無限連鎖講防止法二条に定義された無限連鎖講を指しているものか、それとももつと広い意味での無限連鎖講類似組織という意味で表示したのかはつきりせず、前記1・(3)・(5)の事実認定も、これによつていかに曖昧なものであるかを原判決自体表記していると言うべきであり、右事実認定が確固たるものであるならば、なぜに判決の最も重要な結論部分で漠然とした俗称をもつて判示をなすのか、正式法律用語を使用せずに俗称をもつてなされた判決は違法というべきである。
なぜなら、上告人は協力会は、前述したように金銭配当組織ではないから無限連鎖講には当らないと主張し、かつ無限連鎖講防止法という更正処分当時何ら制定も施行されていない(従つて発起人・ならびに会員のすべてが社会的弊害をもたらすとの認識を何らもつていなかつた)法律を適用して結論を下した一審判決は違法で不合理であると控訴理由で主張しているにもかかわらず、原判決はこれに対して何らの説示もなさず、かつ曖昧な「ねずみ講」なる俗称のもとに、あたかも「ねずみ講」であるから、適法な事実認定でも服しなければならないという悪印象を与えて、代表者たる大次郎個人に過大な賦課を与えようとする先見予断に満ちた判示と解せられることになるからである。
8 本件開発の結論部分において最も重要なことは、協力会が社団としての組織実体を備えていたかどうか、あるいは無限連鎖講であるか否かということよりも、むしろ協力会の事業が大次郎個人の営利事業であつたのかなかつたのか、そしてその決定的な法律上のないし経済上の帰属理由はどこにあるのかということであるにもかかわらず、これに対する判示が欠落しているため、この結論の前提たる事実認定として前記1・(3)に列挙されたような数多くの事実のどの事実が社団の成立要件からみた社団の否認事由なのか、それとも大次郎個人の事業として認定し得る帰属事由であるのか判別できない。「無限連鎖講類似の事業主体は社団でなければ代表者個人とみなす」などという法の格別の規定なくして、少なくとも、発起人、役員らが代表者である大次郎個人の営利事業とは認識していない(甲第五八ないし六三号証ならびに上告人側承認五名の証言により立証)任意団体たる協力会の収益金を大次郎個人の所得として帰属認定する以上、右判別の判示は不可欠であり、これを明示していない原判決は明らかに民事訴訟法(以下「民訴法」という。)三九五条一項六号により理由不備・理由齟齬の違法がある。
9 いずれにせよ、原判決自体が認めているように、原判決の事実認定に反する多くの客観的に明白な証拠が存在するにもかかわらず、論理則(民訴法三九五条一項六号)上ないし経験則(民訴法一八五条)上ないし採証の法則に違背して、これを措信せず、その措信せざる理由を開示することなく、また証明責任分配に関する最高裁判例に反する結論をなし、各事実認定間ないし結論との間に多くの論理矛盾を内包して支離滅裂であり、またその結論部分も新たな判断基準を示さずには論理の飛躍が生じる瑕疵を有し、また本人訴訟に対する後見的役割を果すべく釈明権(民訴法一二七条一項)を行使すれば証拠の認否・成立が容易になつて事案の解明がなされ得る、ないしは真偽や計算過程が明瞭となるものについても、釈明を怠り、いかなる事実が本件課税処分の適法か否かを決するものであるのかが漠然として不明確であり、さらには法律上定義なき俗称用語を用いて結論づけをなしている原判決は全体的にみても真理不尽と言わざるを得ず、従つて民訴法三九四条の趣旨に照らし、当然破棄されるべきである。
10 つけ加えるならば、もし真実を前提とした判断においてなお協力会の収益金が大次郎個人の所得として帰属するとの判断が妥当な場合であつても、違法な事前調査(判例については、甲第五三号証、東京高裁判決、昭四三・五・二四、判例時報五二三号二七頁)による乙第六号証の一ないし二、ならびに違法な事前調査時の証人佐藤彬の証言は適法な証拠として採用し得ず、また前記一・1・(3)の<1>ないし<4>および<14>、<16>の事実を前提とすれば、大次郎親子が中心となつて金儲けに金銭配当組織として協力会なる事業を始め、大次郎が不特定多数の会員を募集し、かつその事業所得にかかわる税金を逸れる目的をもつて、青色申告会の青年部員であつた発起人らを利用し、外形上権利能力なき社団の形式を整えたものという結論に到達すべきが論理上正当であるが、かかる結論が実体であつたとすれば所得税法一五〇条により被上告人署長は当然大次郎の青色申告承認取消をなすべきものであつたにもかかわらず、異議申立後になされた乙第一七ないし二二号証にかかわる事情聴取後も取消はなかつたのであるから、仮装陰ぺい行為の前提となるような乙第六号証の一ないし二とこれを作成した証人佐藤の証言、乙第一七ないし二二号証とこれを作成した証人山吹の証言中、前記一・1・(3)の<1>ないし<4>及び<14>、<16>の事実と合致する部分を証拠として、被上告人署長は本件訴訟上、本件更正処分の適法事由として主張し得ず、また前記一・1(3)の<18>ないし<19>の昭和四六年以降になされた積立金取崩し等の後発的事由は、昭和四六年分以降の所得認定事由とはなり得ても、本件昭和四五年分の所得認定事由とはなり得ないにもかかわらず、原判決は前記<1>ないし<4>及び<14>、<16>に加えて<18>ないし<19>の事実認定を前提として、本件更正処分を適法と判示しており、これは明らかに手続上ないし判断上の過誤の有する違法な判決であるから、破棄されるべきである。
二、更正附記理由以外の事実認定による所得の帰属認定は違法である。
1 後記第二点一・6に述べるように更正処分の理由附記規定の趣旨には「争いの対象となる処分を特定する」という意味を有し、特に青色更正理由附記の趣旨から厳格に判断すれば、争訟においては処分の違法一般が争われるのではなく、当該処分をなすにあたつて明示された理由の存否それ自体が争われるものと解されるから、「訴訟において附記理由以外の事実を追加抗弁事実として主張しえない。」(京都地判昭四九・三・一五、行裁例集二五巻三号四二頁。)と解され、処分庁側は更正理由附記により明示されていない他の理由を訴訟において持ち出すことは許されないと解される。
2 前記1に記した判例と見解が正当と解されるならば、甲第一号証の更正理由附記には前記一・1・(3)に掲げたような主要な事実認定の一つも記載なく、被上告人が後にいうところの「法的評価による更正」のみ附記しかなく、大次郎が個人の事業所得として申告の要があると認められる事実として、被上告人が主張しかつ原判決が認めているような事実に関する記載は何ら明示されていなかつたのであるから、かかる事実をすべて被上告人は主張しえないがゆえに、かかる事実認定はなし得ないにもかかわらず、かかる事実を認容し、それらを本件所得帰属の判断の前提事実とした原判決には訴訟手続上の違背があり破棄されるべきである。
三、原判決理由の第一の三の更正処分の違法事由の存否についての判断の誤りについて
1 所得の帰属についての判断の前提としての権利能力なき社団の成立要件について
(1) 原判決が所得の帰属についての判断の前提として上げた権利能力なき社団の成立要件についての判例(最判昭三九・一〇・一五判決、民集一八巻一六七一頁)は、土地の賃借権の譲渡行為の主体たりうるや否やを毛摺るための判断基準の論理的前提として抽象的一般論として判示された見解であって、それをそのまま課税認定上の所得の帰属の主体についての判断の前提と決めてしまうことは早計である。
(2) なぜなら、所得の帰属を判断すべき前提は単なる債券譲渡行為の主体たりうるや否やという民法上の個別的当事者間に限られたところの任意性を有する債券債務関係という狭い範囲の判断と異なり、公平の原則を第一義とし、その判断によつて構成された法理論によつては、すべての課税単位に対し行政上の課税認定を行なわなければならない原則を有する強行性を有するところ税法との関連をもつ判断、すなわち、課税単位たる主体を有するや否やという広い範囲から見た判断のための論理的前提でなければならない。
(3) もし、そうでないなら、現実に慣習的に存する前記(1)の成立要件に欠ける、ないしはその要素において薄弱な数多くの団体が、その収益が課税対象となるか否かは別として、社会生活上の一単位として認知され、かつ活動を営む存在している公知の事実と矛盾し、実体から遊離した不公平な判断となつてしまうからである。
(4) 純法理論だけからすれば、権利能力なき社団の成立要件に関する民法上の格別の規定がない以上、極言すれば、二名以上の構成員が一つの目的のために集合し、かつ共通の意志をもつて結合すれば一つの組織体をなし、その組織体で固有の名称を有すれば、その名称の名のもとに活動しうる一つの単位すなわち団体が生まれ、権利能力なき社団はそこに成立し、かつ課税単位たる主体を有するものとみなし得るものである。
(5) そして、その社団の資産は構成員に総有的に帰属し、かつその取引上の債務はその社団の構成員に一個の義務として総有的に帰属するとともに、社団の総有財産だけが、その責任財産となり、構成員各自は、取引上の相手方に対し直接には個人的債務ないし責任を負わないこととなる。(最判昭四八・一〇・九判決、民集二七巻九号一一二九頁。)
(6) 従つて、納税債務の主体たるべき社団の成立要件については、当然視点を税法との関連において判断せられるべきものであり、かつ税法上の格別の規定がない限り、課税単位たる主体については前記(4)の純法理論に、またその租税債務ないし責任については(5)の判例に準ずべきものと解せられるし、ましてや法の格別の規定なしにその社団の代表者がその社団の納税債務のすべてを直接に負担すべきものと解することはできないから、前記(1)の判例に基く権利能力なき社団の成立要件を所得帰属についての主体の判断の前提とした原判決は、前提そのものに矛盾の欠陥があるとともに、右成立要件に照らし、その生成過程に少しの欠陥ないし薄弱な点が見つかれば、それを理由として、全体の社団性を否認してその納税債務のすべてを代表者個人に負わせようとする意図のもとになされた予断的前提提起であり、法の解釈に誤りがある。
2 協力会は発起人会が中心となつて開始した会員利用施設建設ならびに交通自己共済を主目的とする互恵的協力団体であり、かつその登録手数料は出資金ではないから会員相互間の協力金は贈与金であつて配当金ではないゆえ、協力会が原告親子が中心となつて開始した金銭配当組織であるとの判示は当らない。
3 協力会発足時点の会員勧誘は発起人らが中心となつて趣旨賛同者を集めたものであり、かつ発起人会が主体となつて懇請により会長に大次郎を選出したものであるから、大次郎が自ら協力会の主催者になるために発起人会を開催し自己を会長に選出したとの判示も当らない。
4 協力会は公益的事業を行うことを主目的として開始されたものであるが、昭和四五年中は開始より約三ヵ月の活動期間を有せず、その間会員加入登録者数が異常なために、主目的とする公益的事業活動は期間的事務的にも限られたものであつたにせよ、現実になされており、収入金はその公益的事業ならびにその事業遂行上不可欠な運営管理費ならびに会員利用施設建設基金ならびに交通自己共済制度出資金として支出ならびに積立てられている以上、公益事業が、主目的であつたといえるから、原判決の公益事業を主目的としていたとみることはできないとの判示は納得できない。
5 協力会の協力金システムが昭和五三年に制定された「無限連鎖講の防止に関する法律」に規定されている無限連鎖講に該当するかどうかは本件更正処分とは何ら法的関係を有せず、また当時それが社会的害悪をもたらすものであるとの認識は発起人をはじめ会員の誰れも感じていなかつたのであるから、原判決は協力会をねずみ講であると断じることによつて、本件課税処分の違法性の当否についての判断を回避して、納税責任を大次郎個人に押し付けようとする予断的判示である。
6 また登録手数料五〇〇〇円の加入によつて一年間二〇万円の交通傷害共済金が保証されることが会員にとつて特典でないという判示も常識論としても不合理である。
7 協力会の積立金ならびに出資金が取崩され費消されたのは、会の収入が途絶した昭和四六年後半以降であつて、原判決が「いつの間にか取り崩されてしまつた」として、あたかも昭和四五年中に大次郎が個人的に流用したかのような判示認定をしているのは不当である。
8 規約制定時にいた九〇余名の会員は、大半が発起人と青申会関係者ならびにそれらの家族・従業員・親戚であり、勧誘手紙文に掲示された協力会の主目的の趣旨に賛同しかつ会が正式に発足した後に後輩会員になることを希望して登録手数料を発起人に託した者であるから、それらの者はすべて発起人らと特定の繋りを有している者で不特定多数の者ではなく、かつその時点は準備段階であつたから、登録手数料が本部に入つても、それは預り金的なものであつたにすぎず、会が正式に発足して先輩・後輩関係の加入手続が正式に完了し確認されてはじめて正規の有資格会員となるシステムとなつていたから、登録手数料の入金額から推定して九〇名余の会員がすでにあつて、それらの会員に規約制定の同意を得ていないと断じた判示は当らない。
9 すなわち、準備段階においては、ある程度の加入希望者が集まつて一つの山らしき形態を整えてから発進しなければ、均衡のとれた大ピラミッドを築くことができず特定の者に協力金が集中してしまうことは相互協力の精神と名称に反するものということで、発起人らが中心となつて加入希望者の先輩・後輩関係と系図表中の位置付けを検討協議中であつたものであり、協力会が正式に発足したのが会長選出ならびに規約制定をした一〇月六日の発起人会であるとするならば、その後に前記8に記した九〇名余の者のうち発起人を除く者らが自己の順位と位置を承認して登録手続を完了し正規会員となつたといえる。
10 そうであれば、発起人会イコール総会であつたと解しうるから、単なる加入希望者にすぎなかつた者らに対する会長選出ならびに規約制定に関する同意は不要であつたと解しうるし、仮りに同意が必要であつたとしても発起人らと九〇名余の者は同一ないし前述のような特殊の関係を有する者であつたから、それらの者の意思は発起人らを通じた委任によるものとして反映されていると解しうるから、発起人会は総会に代位しうるものと解せられる。
11 制定された規約に対する一般会員の認識は知ろうと欲すれば発起人ないし事務局から知り得たはずであり、一般会員の多くは勧誘手紙文に掲げた主目的、<1>会員利用施設建設、<2>交通事故共済の二つは最低限すべての会員加入希望者が承知し賛同した上で正規の会員になつていると自認しており、ましてや代表者個人の金儲けのために始めた事業でないことの認識は明白に有するものとして、詳細な規定のある規約の提示を求める者が少なかつたというにすぎない。
12 規約第一七条は協力会設立時の特殊規定であることは同条文中の「設立発起人会」の明記により明らかであり、最高意思決定機関としての総会の規定が第四章標題に「総会」と明記された上規定している以上、任期満了時においても同条文が適用されるものと解されることはなく、また規約に不合理があれば次年度以降の総会(第一五条に通信総会の議決事項として規約改正等が明記されている)により修正が可能であるから、新たな会長を選任できなくなり、会員が会長と他の役員を選任する機会を全く有しないとの判示は即断に過ぎるものである。
13 発起人会と役員会とはその名称の行かんにかかわらず構成員が同一であるから執行機関としての実質を有していたものと解せられるし、会の運営管理を大次郎親子に一任していたからといつて、種々の重要事項に関する決議の事実が存する以上、執行機関にその効力の源泉があるとともに、執行機関が不存在であつたことにならず、役員会も昭和四六年三月九日以降においても重要な事項、たとえば建設基金や積立金の取崩しなどについては、そのつど役員の確認を得ながら会の運営管理を続けて来ているので、役員会が一回しか開催されないとか、大次郎親子以外の役員が協力会の運営管理に何ら関与していないとかいう判示は不当なものであるとともに、役員会は名目的であるとする判示は当らない。
14 また、規約第一七条に基き設立発起人会が大次郎を会長に選出したことが、会員の多数意思に基かないから無効であるというなら、代表者たる資格を有しない大次郎一人に協力会の租税負担のすべてを賦課すべき正当な法的根拠は一体どこにあるのか、判示は明確にしていない。
15 総会については、第四章に「総会」という明記がある以上、総会は通信総会であれ通常の総会であれ、その手段の種類を問わず、最高意思決定機関としての広義の総会の存在を前提として認めているものであり、通信総会の規定は、通信手段を媒介として拡大する会員結合という会の特殊性から、地域差による会員の意思表明が疎外とならないよう、できうる限りの会員の多数意思を会運営に反映させる趣旨から、あえて「通信」を付して明記しその存在価値を位置ずけて制定されているからといつて、通信手段を用いない通常の総会ないし広義の総会の存在を否定していることにはならず、通信手段が不適当ないし不能な場合には、当然べつな手段による総会が、通信総会に関する規定を準用して開催すべきものであり、かつ開催しうるものであると解せられる。
16 規約第一二条の規定は通信によるか通常の全員会員大会ないしは地域別大会による総会を開催するか、開催の適切な時期はいつかの選択権を会長に与えることによつて議事の混乱を回避して円滑化を計るべくまた会員の参加の便宜を考慮してできうる限り多数の意思を会運営に具体的に反映させようとして制定されたものであつて、第一三条で通信総会を毎年一回開催することを義務付けているのであるから、通信によるか、その他の方法によるか、手段の如何はともかく、この義務付け規定がある限り、総会の招集権を会員から奪う目的で制定されたものと解し得ず、会員による総会の招集手続に関する特別の規定がない場合には、慣習上過半数をもつて招集可能であることは多数決の原理からして明文化するまでもないことであり、開催される総会の議決事項や議決方法についても第一四条を準用すべきものと解せられる。
17 通信総会は協力会の特殊性から規定されたものであることは前述の通りであるが、当時の商法上の株主総会が一部の総会屋に牛耳られていた状況からすれば、通信手段による方が、より個別的、具体的、かつ客観的な会員の意思表明がなされ、それによつて会員の多数意思をより多く会運営に反映しうると考えられたので、特記されたものであつて、これを通常の総会の議事手続と異質なものとして排斥されるいわれはない。
18 従つて、規約上の広義の総会と通信総会を並列に論じて総会招集手続、議決事項とその方法に欠陥があつて会員の多数意思が反映されないとする判示は当らない。
19 昭和四六年三月に行なわれた通信総会のためのJMS情報の1面には、会長の第一、決算報告にあたつての挨拶記事ならびに協力会の趣旨を含めた事務局の挨拶記事、2面には「七〇年度事業報告」、「七〇年度決算報告」の標題の明記の下に詳細な報告記事と発議の表示がなされているのであるから、これが通常総会に代わるものであると会員が認識するのは容易であり、これを名目的とする判示は予断先行の判断であつて納得できない。
20 昭和四六年分以降の協力会の決算内容については明確であるとともに役員の承認を得ているものであるが、本件更正処分とは特に法的に関係がないと判断し、不要と思われる証拠の提出を避けてきたが、このような後発的事由が、本件更正処分の所得帰属の認定に不可欠であるとの判示、ならびにいつの時点までの事由が不可欠であるのか、そしてその法的根拠の判示も原判決は明らかにしていない。
21 社団性の有無という観点に立ち、前記1の(4)に記した純法理論からみるなら、規約の存在が社団成立のための絶対必須要件ではないから、協力会が正式に発足したのが一〇月六日であつたと仮定しても、それ以前の準備段階の協力会が社団性を有していなかつたことにならず、発起人有志らが協力会の設立趣旨を考え、その趣旨に賛同する共通の意思をもつて結集し、正式な会の設立準備をはじめた時点からすでに社団性を有していたものとみなし得る。
22 一般論として社団の生成過程は川の上流論ともいうべき不明確さを有するが、その不明確さは立法の欠陥に由来するものであるかないかはともかく、その不明確さがより自然な生成の事実を物語つているといえよう。
すなわち、川の上流において、どこから川であるのか、どこからどこまでが単なる流れであるのか、川の定義(川幅何メータで水深何メータ以上が川であるというような)が存在しない以上、その明確な峻別が不可能であるように、権利能力なき社団についても、その成立要件に関する規定が存在しない以上、徐々に集まり、徐々にその結合を強めながら、その社団としての形態を整えて行く生成過程の中で、どの時点から社団で、それ以前は社団でないといえるのか、画一的に区別することは不可能である。
23 よしんぼ成立要件を仮りに設定し、ある事実が成立要件を満たしたとして、その事実が発生した時点から社団であると敢えて判断し得た場合においても、それ以前は、上流の起源がばらばらの単なる流れにすぎないと同じように、個人の単なる集合であるから、そこに集められた収入金は個々の構成員に帰属すべきものであつて、その名目上の代表者に帰属すべきものと解することはできない。
24 また仮りにその時点までの収入金がその名目上の代表者に帰属すべきものと判断し得た場合においても、それを理由として、その時点から成立要件を満す社団となつた社団の以後の収益金のすべてを頭初の名目上の代表者に帰属すべき正当な法的根拠もなく、ましてや、最初から最後までの収益金のすべてを名目上の代表者個人に帰属せしむべき合理性も存しないうえ、最初から最後までの間に完全にはその成立要件を満さなかつたがゆえに社団とは認知しえなかつた場合においても、その収益金を名目上の代表者に帰属せしむべき法的な根拠は何ら存在しない。
25 協力会に関してみるなら、総会ないし総会に代位しうるものとしての一〇月六日の発起人会開催の日が社団としての形態を客観的に表出して来たものであるとはいえても、それ以前に発起人が任意に集まつて、どのような会の設立が最も助け合いの精神に合致し、かつみんなが加入し易いかを主眼として意見を出し合い、会のシステムに不可欠な登録手数料や協力金の額、ランク数ならびに事務管理と会員勧奨の役割分担などにつき何度も協議を重ねていた事実があるのであるから、その準備段階の協力会が社団性を全く有していなかつたと断じてしまうことはできない。
26 仮りに準備段階の会員としての結合度が薄弱で社団性が否認しうる場合があつたと仮定しても、それが直ちに、事務局的立場にあつた大次郎の個人的営利事業であるとみなしうる法的根拠、一〇月六日の発起人会を中心とした会活動や一一月の独自事務所の開設時以降の会活動のすべてを通じて、その収益金のすべてが、大次郎個人に帰属しているものとみなしうる法的根拠とはなり得ない。
27 総じて原判決は、前記1の(1)に記した権利能力なき社団の成立要件に照らし、協力会の規約の条文の趣旨を度外視し、単に字句上のみからみた些細な不備や後発的瑕疵の事実それもほとんど証拠と対比して違法な認定に基く所得帰属の判断をなしており、大次郎が昭和四五年中に得た給与所得以外に得た経済的享受の事実は何らなく、仮りに法的評価によつて協力会の社団性が否定せらうると仮定しても、法の格別の規定なしに、その否認の結果による名目上の代表者たる大次郎に対し、本件更正処分にかかわる納税義務を課すべき租税帰属についての法的根拠の摘示は何らされておらず、かかる原判決判示は昭和五三年に制定された「無限連鎖講に関する法律」を根拠に本件更正を正当化しようとする、予断に基くものであつて違法であり破棄されるべきである。
28 特に、所得税法三六条一項に規定する「収入すべき金額」とは、収入の権利の確定した金額を言い、所得算出のため収入金額は、いわゆる権利確定主義によるべきことを規定しており、私法上の権利義務の確定という法的基準によつて帰属年度を明確にきめようという趣旨からすれば、前記一・1・(3)の事実認定中、右法的基準に合致する事実は何ら存在しないし、かつこれに関する法的判示は何らされていない原判決は、右の趣旨に違背し不合理であるから理由齟齬がある違法な判決として破棄されるべきである。
29 協力会の社団性という観点からしても、大次郎個人の生活の所在地(北見市番場町二の九、乙第五号証)および不動産所得の源泉である土地・建物の所在地(土地 北見市番場町一一番四ないし六、建物 北見市番場町一一番四、五、一、甲第三四号証)と異なる所在地(設立発起時点北見市清見町、新事務所開設時北見市幸町一八番地甲第二二号証の一ないし二)に協力会の活動の本拠を有し、「MB相互協力会」という社団としての独自の名称をもち、一定の事業目的(少なくとも<1>会員利用施設建設積立、<2>交通傷害共済という目的は、全会員が了知していた、甲第三〇号、乙第九号証)を有し、明確に分離経理された帳簿書類(甲第九ないし一一号証)があり、かつ役員会の決定に従つてその経理内容が会員に後悔された事実(甲第九ないし一一号証、甲第一九号証)があつた昭和四五年分の協力会の収益金を前記二八に記した権利確定主義との関係において、私法上の大次郎の権利義務が法的にいかにして確定したかの判示がなされていなかつた原判決は不合理で違法である。
第二点 原判決の更正理由附記を適法とする判示には法令違背があり、違法である。
一、青色申告制度の趣旨と理由附記制度との関連について
1 「青色申告制度が帳簿記載の慣行確立による真の申告納税制度の理想実現を目的として制定されたものであること」は被上告人の主張する通りであるが、この青色申告制度は、戦後の経済混乱とインフレの進行、納税道義の低下などの悪条件下で戦前の賦課徴収制度から申告納税制度への転換期にあつた税務行政の極度の混乱を解決すべく、シヤウプ勧告を契機として、申告納税制度の育成助長のため、まず何よりも先に記載習慣を醸成し、この記載に基づく納税者の誠実な申告を税務官庁が尊重する制度として創設されたものである。
2 しかし、被上告人も主張するところの青色申告制度の目的とする「真の申告納税制度の理想」とは何であつたかといえば、その法的根拠を特定の憲法条項(憲法三〇条、三一条、一四条等)または法治主義その他規範に求めるかはともかく、現在「国民主権の税法的表現」とまで評されている、戦後税制の基本原則である「公平かつ合理的な申告納税制度」にあつたことは明らかである。
とすれば、納税者の記帳慣行の確立が青色申告の趣旨であつたとしても、その目的は、シヤウプ勧告がその「序文」で明らかにしていたように「公平」を軸とする近代的な税制をめざすものであり、その基礎として納税者の記帳の履行を位置づけ、もつて合理的な申告納税制度を実現しようとせんがためであつた。
3 したがつて、青色申告制度の趣旨が記帳慣行の確立を強調していたからといつて、それはその当時の税務行政の混乱という社会的背景からして最優先課題として取り上げざるを得なかつた事情のためであつて、その一面のみをとらえて、今日における議論として、青色申告の趣旨は記帳慣行の確立にあるから、青色更正理由附記に厳格さが要求されるのは「帳簿否認による更正」の場合だけであるとの観点に立つて、それ以外「法的評価による更正」の場合には、理由附記は論理必然的には要求されず、これが要するとしても簡易附記でよく、ましてや白色申告者の法的地位と対比すれば、それ程の附記も必要でない、そうでなければ「法的評価による更正」が白色申告者にもあるにもかかわらず、理由附記が義務付けられていないのだから、青色申告者の「法的評価による更正」の場合にだけ理由附記が要求され厳格な適用が必要であるとすれば、白色申告者に対して優遇し過ぎる、ないしは公平を欠くことになる旨の被上告人の主張は、あたかも白色申告者の方が納税者の本来あるべき常態であつて、青色申告者は例外的存在であるかのような主張であり、これは「シヤウプ勧告が青色申告の提案にあたり、それが将来、申告納税下における常態となることを予定して、青色申告の特典には、きわめて厳しい合理性の基準をかぶせ、優遇措置の安易な創設には厳しい姿勢を貫いていた。つまり、法的制度には青色申告を本来の常態と予定し、その例外として白色申告を予定していたものである」との見解(中村芳昭「青色申告の趣旨」北野弘久編「判例研究日本税法体系3」(学陽書房)二三六頁参照)に反する課税庁側の便宜主義的な行政の都合のための見方である。
4 なるほど、課税における「公平」理念の実現は、現行においてもなお青色申告制度の法的目的と言い得るものであり、その手段としての青色申告の趣旨は基礎としての記帳慣行の促進にあることは否定できない。
しかし、厳格な帳簿書類の整備、記録及び決算を義務付けられている青色申告者とそうでない白色申告者との間に法的取扱いの差異(だからといつて白色申告の更正に何ら合理的な理由も要しないという意味ではなくて、附記の程度ないし内容についての質てきな差異)があつて然るべきであつて、それは青色申告者の有する義務に対応すべき権利と白色申告者の有する義務に対応すべき権利との間の格差から生じている差異であつて、同一の義務を有する者に対する権利の取扱いについて差をつけるような「差別」ではないから、何ら「公平」の理念に反するものではない。むしろそのような格差がなければ、義務と権利の調和は計られず、すべての納税者は安易な白色申告に傾き、課税庁も権力的な後世権の濫用を行なつて、戦後の混乱を再現することにもなりかねないからである。
5 このような観点からすれば、青色更正理由附記制度を指して使われる租税特恵てきな「特典」ないし「優遇措置」という言葉も、その由来をたどれば、元来義務に対応すべき権利であつたにもかかわらず、権利意識と納税道義の低下していた戦後の納税者に対し、まず何よりも青色申告を普及、開蒙しなければならないという政策的優先課題の誘引策のために「権利」修飾し味付けけすることによつて生まれた宣伝的用語であつたに過ぎない。
要するに、正しい記帳慣行の確立を青色申告の趣旨とし、それを基礎とする合理的な申告納税制度の実現が青色申告制度の法的目的であつたとしても、記帳慣行がある程度確立され、その質的向上が叫ばれている今日においては、青色更正理由附記制度は、もはや特典としての優遇措置の範疇に入るものではなく、その必要性と合理性は憲法論的にみても、納税者の当然の権利とさえ言い得るものである。
6 学説をみても、一般に行政処分たる更正処分に理由を附記せしめることは
(a) 処分庁の判断の慎重・合理性の担保(恣意 の抑制)
(b) 処分の根拠の明示(公的に知りうることの保証)
(c) 争いの対象となる処分の特定(処分後の理由追完の不許)
という意味をもち、それは理由附記規定の趣旨を構成し、それゆえ、青色申告更正のように理由附記の規定がすでにある場合はもちろんのこと、白色申告更正のようにその種の規定がない場合であつても「憲法三一条の要請として、それなりの理由を附記すべきである」との主張が多く見受けられる。(北野弘久著「税法の個別的研究Ⅰ」(学陽書房)二三一~二頁、および二四五頁、同著「新財政法学・自治体財政権」(勁草書房)一七九~一八〇頁)
なお、白色申告更正の場合にも理由附記が必要である、あるいは少なくとも要求があつたら摘示すべき理由の用意が必要であると主張するものとしては、このほかに畠山武道「税法判例研究」法と民主主義八九号三七頁(ただし、法治主義の要請として説く)、三木義一「税法判例研究」法と民主主義八〇号四八頁、福家俊朗・税理一八巻一一号一三二頁(課税処分一般に原則として理由附記が要求されるものと説く)
7 これらのことからみても、白色申告更正の場合にも理由附記が必要であるとの主張が多くみられ、政府当局者においても、白色申告者を含めすべての事業者に記帳義務を課すべき旨の提唱がなされている今日、青色申告の趣旨は、もはや単に記帳慣行の奨励のみにあるのではなくて、いかにして公平かつ合理的な申告納税制度を実現すべきかという法の目的に対応すべき広い意味の手段、単に記帳のみでなくて、それを基礎とする適正かつ合理的な企業会計慣行の確立や税法ならびに税制に対する知識の習得と理解および非合理的税制の改正についての見識等、記帳を含めた総合的な納税意識の向上を趣旨とすべき時代に入つているのであるから、そういう意味の青色申告の趣旨ならびに前記6に記した一般的な更正処分の理由附記規定の趣旨を合わせて考えてみても、青色更正理由附記規定が法として要求している「附記の程度」というものは、更正の態様の区分の如何にかかわらず、「より厳格であるべきこと」が要請されていると言うべきであり、「法的評価による更正」には論理必然的に理由附記が要求されていないとの被上告人の主張は、青色申告の趣旨・目的ないし憲法論的行政手続要件としての理由附記規定の趣旨に照らせば、帳簿調査に基づく更正という局部的観点にとらわれた狭隘な思考に基づく主張としかいえず、納得できない。
また、白色申告に傾けた平等論を展開している被上告人の主張も、これらのことを看過してなされる悪平等論的主張であつて、被上告人自ら主張するところの「真の申告納税制度の理想実現」という青色申告制度の法の目的に矛盾し、かつそれに向わんとする時代の進歩に逆行するものである。
8 被上告人の主張するように、「元来帳簿書類は課税標準算定の基礎となる客観的な会計事実の認定に当つては、最良証拠としての証明力を有するもの」であるから、「帳簿否認による更正」の場合の方が、量的には事例は多くても、更正事由の範囲が帳簿の証拠力のゆえに、ある程度限定されるものであり、むしろ「法的評価による更正」の場合の方が、事例は特定的で量的に少ないであろうが、更正事由の範囲が限定されないゆえ、曖昧な理由附記では、いかなる法的根拠に基き、いかなる事実を認定し、かついかなる帳簿書類を基礎資料として更正したものであるかを納税者は一層理解し難く、かつ課税庁は恣意に流れ易い。
したがつて、「法的評価による更正」の場合の方が、かえつて「帳簿否認による更正」の場合よりも一層個別的、具体的法的根拠を呈示するよう理由附記規定をより厳格に適用すべきものと解される。
9 また、被上告人は青色申告書に係る更正についての条文解釈からしても、法的評価は帳簿書類の機能を超えた事柄に属し、「帳簿調査に基づく理由附記」という法的要求の範囲外にある旨の主張をなしているが、なぜ、この条文が「法的評価による更正」と結びついて、そのような主張をなしうるのか理解し難い。
所得税法一五五条一項但書一合は「その更正が不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額以外の各種所得の金額の計算又は第六九条から第七一条まで(損益通算及び損失の繰越控除)の規定の適用について誤りがあつたことのみに基因するものである場合」と記されており、確かに不動産・事業・山林所得は同法一四三条規定による青色申告対象業種でかつ同法一四八条一項に規定する帳簿書類の備え付け義務のある種目の所得であることに間違いはないが、これらの種目の所得以外の各種所得の金額の計算と損益通算等の規定の適用に誤りがあることのみに基因する場合に限り、一五五条一項但書本文規定により帳簿書類を調査しないで更正しうることを定めただけのものであり、この限られた各種所得の単なる金額計算上の誤りや限られた損益通算等の規定の適用の誤りのみに基因する更正は、単なる申告書上の金額計算と計算の仕方を訂正する更正にすぎず、課税要件事実の税務認定や法の格別の否認規定に基づく「法的評価による更正」とは何ら関係のない条文であるにもかかわらず、あたかも一般的法令の適用を誤つた場合の更正にも、この条文規定が適用されるものであるかの如く、被上告人は「あるいは法令適用を誤つた居住者の申告について更正を行う場合には理由の附記を要しないことを明らかにしている」と主張しているが、正に失当である。
ましてや、本件更正と関連する所得は事業所得等の青色申告対象業種目の所得であることからみれば、被上告人の条文解釈についての主張は、単なる申告書上の金額計算と計算の順序等についての誤りによる更正にかぎり、帳簿書類を調査しないで更正しうる規定があること」の説明には役立つかもしれないが、それ以外の意味付けは、こじつけというほかはない。
10 しかしながら、被上告人の主張を逆に裏返して所得税法一五五条二項の条文解釈を検討すれば、同項に「同条一項一号に規定する事由のみに基因するものを除く。」と明記されていることからしても、同条一項一号に規定する事由のみに基因する更正を除く、すべての青色申告に係る更正については、法的評価による更正か否かにかかわらず、論理必然的に理由附記が要求されているとの反対解釈が成り立つことになる。
11 このことは、青色更正理由附記規定の趣旨については、個人・法人の差異はないから、現行法人税法一三〇条二項の規定の条文解釈からしても同じことがいえよう。同項は次のように規定している。「税務署長は内国法人の提出した青色申告書に係る法人税の課税標準又は欠損金額の更正をする場合には、その更正に係る国税通則法二八条二項(更正通知書の記事事項)に規定する更正通知書にその更正の理由を附記しなければならない」。
これによれば、青色申告書に対する更正の理由附記には特段の限定がなく、ひろく青色申告書に対する更正であれば、その理由のいかんを問わず理由附記が必要とされている。したがつて、規定上からは帳簿書類の記載を否定しないでなされる更正の場合にも理由附記が必要であり、またその理由附記の程度についても別異の取扱いは許されていない。
12 そもそも、「法的評価による更正」などという規定はどこにも存在せず、まして「法的評価による更正」の場合には理由附記を要しないとか、簡易附記でよいとする旨の規定はどこにも見当らず、このような場合を別異に取扱うべき根拠および合理性が何ら存在しない以上、そのような解釈は、青色更正理由附記の規定の条文解釈として許されるべきものではない。
「法的評価による更正」という言葉は、あくまでも抽象的、分析的用語であるにすぎず、その類型に入ると思われる同族会社の行為計算の否認規定による更正の場合にしたつて、法人税法一三二条(同族会社の行為又は計算の否認)という明文化された条文が存在する以上、その理由附記には適用条文を明記すべきが当然である。(かかる旨の最高裁判例については以下の判例理論のところで詳述する)。それさえなかつた本件更正理由附記は、青色申告に係る更正の理由附記として欠缺の違法があることは明らかである。
二、青色申告更正の理由附記の法理に関する判例理論について
1 青色申告更正に対する理由附記の性質および程度についての判例理論は、次の一連の最高裁判決によつてほぼ確立されている。
<1> 最高裁(二小)判決、昭和三八年 五月三一日(民集一七巻 四号 六一七頁)
<2> 最高裁(二小)判決、昭和三八年一二月二七日(民集一七巻一二号一八七一頁)
<3> 最高裁(二小)判決、昭和四七年 三月三一日(民集二六巻 二号 三一九頁)
<4> 最高裁(三小)判決、昭和四七年一二月 五日(民集二六巻一〇号一七九五頁)
<5> 最高裁(一小)判決、昭和五四年 四月一九日(判決時報九二八号 五二頁)
2 <1>判決は、一般に法が行政処分に理由附記を要求している趣旨について「処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに処分の理由を相手方に知らせて不服申立に便宜を与えるもの」とし、理由附記の程度については原則として処分の性質と理由附記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らして決定すべきであると述べたうえ、旧所得税法四五条二項の附記理由の程度については、「特に帳簿書類の記載以上に信憑力のある資料を摘示して処分の具体的根拠を明らかにすることを必要とする」と解すべきであるとした。
かかる解釈に基づいて、同判決は「ただ帳簿に基づく売買差益率を検討してみたところ、帳簿額低調につき、実際に調査した売買差益率によつて確定申告の所得金額三〇九、四二二円を四四四、六九五円と更正したにとどまり、いかなる勘定科目に幾何の脱漏があり、その金額はいかなる根拠に基づくものか、また調査差益率なるものが、いかにして算定され、それによることがどうして正当なのか、右の記載自体から納税者が知る由もないものであるから、それをもつて ? 所得税法四五条二項にいう理由附記の要件を満しているものとは認め得ない」と判示し、理由附記を命ずる規定を強行規定と解している。
3 <2>判決は、青色申告の場合には「若しその帳簿の全体について真実を疑うに足りる不実の記載等があつて、青色申告の承認を取消す場合は格別、そのようなことのない以上、更正は帳簿との関連において、いかなる理由によつて更正するかを明記することを要するものと解するのが相当である」とし、またかかる理由附記は「単に相手方納税義務者に更正の理由を示すために止まらず、漫然たる更正のないよう更正の妥当、更正を担保する趣旨を含むものと解すべく、従つて更正の理由附記はその理由を納税義務者が推知できると否とにかかわりのない問題といわなければならない」と判示し、理由附記規定を公的に確認するための手続要件と解している。
これに基づいて、同判決は、更正の附記理由をみた場合、「『売上計上洩一九〇、五〇〇円』との記載だけでは、いかなる理由によつて計上洩を認めたかが明らかでなく、理由として極めて不備であつて、右の記載をもつて法律の要求する理由を附記したものと解することはできない」とした。
つぎに、同判決は、旧法人税法三一条の三すなわち同族会社の行為計算の否認規定を適用して更正処分をする場合の附記理由について、「右三一条の三を適用して更正処分をする場合にも同法三二条後段の規定により理由を附記すべきものと解すべく、また元来右三二条後段の規定は処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服申立の便宜を与える趣旨に出たものであると解すべきところ、再更正処分に附記された理由においては、そもそも、所論借地権について帳簿の記載について誤りがあるという趣旨であるのか、あるいは所論のように三一条の三を適用した結果であるのかさえ不明であるから、所論は採用できない」とした。
同判決は、さらに、
6 <4>判決は、法人税青色申告等についてなされた更正処分の通知書において、係争事業年度所得の更正理由として、「営業譲渡補償金計上もれ一、一五五万円」、「認定利息(代表者)計上もれ一万九八三九円」、清算所得の更正理由として「代表者仮払金三九万六八九〇円」、「営業譲渡補償金九〇五五円」と記載されているにすぎない場合には、「右[上告人]主張のごとき更正理由を理解することはとうてい不可能であり、その記載をもつてしては、更正にかかる金額がいかに算出されたのか、それがなにゆえ被上告会社の課税所得とされるのか等を具体的根拠を知る由もないものといわざるをえない」ので、理由附記には不備の違法があるとし、また「更正における附記理由不備の瑕疵は、後日これに対する審査裁決において処分の具体的根拠が明らかにされたとしても、それにより治癒されるものではないと解すべきである」と判示した。
7 <5>判決は、現行法人税法下の青色申告更正の理由附記について、更正の附記理由(とくに未払家賃を「債務未確定のため」として損金算入を否認した記載について、これを善解すれば、更正の根拠を具体的に記載したものと解しえないこともないような場合でも、「被上告人[課税庁]が右のような認定をするに至つた資料については、その摘示が全くないのであるから……法の要求する更正の理由附記としてはなお不十分なものであるといわざるを得ない」とされ、更正の理由附記にかかわる資料の欠如を理由として違法とされている。
三、本件青色申告更正理由附記の更正の態様区分からみた違法性について
1 本件にかかわる更正は、「帳簿否認による更正」に該当しないかについて
(一) 被上告人は一審において、「帳簿否認による更正」の場合には、「更正をした根拠を帳簿記載以上に信憑力ある資料を摘示することによつて具体的に明示することを要する」との最高裁判示(最高昭五四・四・一九)の一般論が該当する旨の陳述をなし、また同一審において、青色更正理由附記の要求される根拠は「帳簿書類の記載を否定できるほどの信憑力ある資料によつたという処分の具体的根拠を明確にする必要がある」との最高裁判示(最判昭三八・五・三一、同判昭四二・九・一二)に基づくものと解される旨の陳述をなしている。
(二) 本件更正処分についての大次郎の昭和四五年分所得税にかかわる帳簿書類は、本来不動産所得にかかわるものしか存在せず、仮りにも、協力会の帳簿書類が大次郎個人の事業所得にかかわるものであるとの認定をなす場合には、帳簿書類の記載に基づくその信用証拠力と金銭的評価を否認することなく更正できないものであることは、原告の準備書面(甲七)にて詳述した通りであるから、被上告人の主張する「帳簿否認による更正」に該当し、前記(一)にて被上告人が認めた最高裁判示に照らしても、本件更正理由附記は、信憑力ある資料の摘示やそれによつた処分の具体的根拠などの明示が要求され単位もかかわらず、それがなされていなかつたのであるから、不備の違法があつたことになる。
2 本件更正は「法的評価による更正」に該当しないかについて
(一) 本件更正がなされるについては、課税庁の法的評価があつたであろうことは否定できないが、その法的評価の最も重要な部分は、被上告人が陳述している通り「協力会が民法上の『権利能力なき社団』と評価されるか否かの法的評価を前提とするもの」であつた。
ところが、税法上課税庁がなしうる範囲の法的評価というものは、協力会の収益は課税物件となるや否や、その課税物件は協力会に帰属するのか、大次郎個人に帰属するのか、そしてその権利はいつ確定したのかという、所得の存否、帰属および権利の確定の認定という「税務認定」、すなわち、あくまでも課税上の法的評価、言いかえれば「税法的評価」であり、それ以前の前提的法的評価であるところの民法上の法的評価ないしは刑事上の責任を伴うような法的評価、総じて「司法的評価」を公的に宣言しうる権限は、元来司法権に属する事柄であつて、行政権下にある課税庁には属しないものである。
(二) ところが、更正通知行為というものは、課税庁と納税者間のみの単なる通知行為にとどまらず、顕在化すれば、公的な宣言行為としての責任が問われるところの「公的性」を内在した確認行為としての法効果を有するものであることは、前記二の3に記した最高裁<2>判決の判示よりして明白である。
とすれば、協力会は権利能力なき社団でないとする法的評価を前提とする税法上の法的評価に基づく課税の認定結果を通知することは、その前提たる司法的評価を含めて公的に宣言するに等しい行為である。しかも、その前提たる司法的評価の対象事実は、いまだ司法判断の洗礼を経ず、社会通念上の任意団体の外形を整えその任意団体の社団性について納税者との間に見解の相違があつたものであるから、これを課税庁が一方的に独自の法的判断・評価に基づき司法的評価をなし、これを前提として賦課課税をなす場合には、その前提たる司法的評価についての具体的判断の基準と事実の認定ないし法的根拠の明示は絶対欠くべからざるものであつたにもかかわらず、本件更正理由附記には、これらについて何ら記入されていなかつた。
(三) 先にも述べたように、協力会の収益が課税物件になると仮定して、その課税物件の帰属が協力会自体であるのか、大次郎個人であるのかについて、税法的評価により判断を下し、これを公的に宣言する権限を課税庁が有しているものではあるとしても、協力会が権利能力なき社団であるか否かについての結論を公的に宣言しうる権限は課税庁にはないにもかかわらず、これに等しい行為をなすこと自体に、すでに課税庁の越権行為的瑕疵の可能性を有し、ここに本件更正の違法性の発芽がみられるのである。
この前提的司法的評価の対象事実の判断結果の結論が、司法判断を減るまでもない公知のものであるとか、あるいは司法判断を経た実質的確定力を有するものであるとかならばいざ知らず、そうでない本件更正事例について、その司法的評価の内容を具体的に明示することなく、「権利能力なき社団」の字句さえ表示されず省略され、税法的評価についても「人格なき社団」という字句をはじめその判断・評価の具体的説示はなく、単なる結論のみを附記したにとどまつた事実は、明らかに本件更正通知書に内在摺るところの「公的性」に対する配慮をないがしろにした欠缺を有することを自ら証明している。
(四) また、その前提たる法的評価の対象は、納税者と課税庁との間の見解の相違の中では最大の争点となつていた事柄であり、社会通念上も外観上も社団性を有していた団体の存否に関するものであつて、その法的評価のしかた次第によつては、民事上のないしは形而上の責任問題と関連するところの基本的かつ重大な法的評価にかかわるものであり、このことは、本件について、具体的に他の「法的評価による更正」の場合と比して考察すれば、一層明確なものとなる。
(五) 被上告人は、「法的評価による更正」の具体例を上げていないが、仮りにこの類型に該当するものと思われる典型例として、法人税法一三二条(旧法人税法三一条の三)による同族会社の行為計算の否認の例を取り上げてみると、納税者が同条の規定の適用により損金算入が否認され更正された場合、その税法的評価の是非にかかわらずこれを認め、この更正に従つて増加税額を納付したとき、納税者に民事上のないし刑事上の責任問題が派生し得るであろうか、否である。
これに比して、大次郎個人が本件更正処分について法的是非を論ずることなく課税に従つて増加税額を納付したとして何らの責任問題も生じなかつたであろうか。あるいは、そのような問題が生じた場合、課税庁の更正通知書をお墨付きとして責任を回避できたであろうか、今日の三権分立の時代においては、当然否である。ここに明確に広い意味の「法的評価」と「税法的評価」とは峻別され、さらに「司法的評価」とも区別されるゆえんがある。
(六) このような分析によれば、被上告人の主張は「税法的評価」と「司法的評価」を混同視して、広義の「法的評価」なる枠をもって本件更正事例を典型化の枠にはめ込み独断的に裁断しようとするものであり、この論法を広く一般に適用することが許されるとすれば、「実質課税の原則」というあいまいな「法理」を一般的に抽象的に強調することによつて、法の運用過程における徴税権力の濫用を事実において正当化する危険性と全く同様に抽象的「法的評価による更正」という「法理」を用いた課税権力の濫用を招来することは予想するに難くない。
(七) 民事ないし刑事上の責任を明瞭に公的に宣言する「司法判断」が法的根拠を明示することなく裁断を下すことは法治国家においてあり得ないことは言うまでもないことであるから、課税庁のなす「司法的評価」もできうる限り「司法判断」に近い「理由」を明らかにしていなければならないことは当然であり、単純に更正の態様を「帳簿否認による更正」と「法的評価による更正」に大別して、本件更正は後者であるから理由附記は「法的評価の根拠を示すとか、資料を摘示することは要せず」簡易附記で充分とする被上告人の見解は、法治国家においては極めて危険で安易な思考と言わざるをえない。
(八) 前記(一)で指摘した被上告人の「前提としての法的評価」すなわち「協力会が民法上の『権利能力なき社団』であるか否かの法的評価」は、まさしく「司法的評価」にほかならないから、本件更正は「司法的評価」を先決的前提とした「税法的評価」による更正に該当するものである。
しからばこの「税法的評価による更正」の場合、理由附記の程度について簡易附記は許されるや否やについてみると、前記二の4ないし5に詳述した最高裁判例<3>判決においても、本件のような「司法的評価」が前提として伴わない同族会社の行為計算の否認の例においてさえ、理由附記規定は厳格に適用されるべく、その適用条件の記載なき理由附記は不備の違法があると断じているのであるから、ましてや重大な「司法的評価」が先決的前提として不可欠である本件更正理由附記については、より一層の厳格適用がなされて然るべきである。
(九) この前提的「司法的評価」がなぜ裁決や判決により近いかたちでその法的根拠を具体的かつ明確に開示されていなければならないかについて、一般の納税者側に立つて考えれば、課税庁の開示した理由が仮りに完全な「理由」でなく、納得できない点がいくらかあつたとしても、おおむね筋の通つた理由が附記されており、課税庁の認定結果が納税者に何らかの実益を与え、かつ犠牲が最小限で済む場合であるならば、そのおおむね適正で合理的な開示理由によつて、司法的責任においても安心感をもつて対処し、納税することが可能となる場合もありうることからも理解されよう。
(一〇) 本件のように、課税金額が多額で、重要な根幹的課税要件認定要素を含む事例において、かんじんの理由のポイントが「申告を要す」では行政権力優越の時代ではなく三権分立の時代に、責任ある立場におかれた被相続人を納得せしめ、安心感をもつて課税に従いうる適正で合理的な理由附記とは、どうみても言い難い。
このような簡易附記であつても、賦課税額が少額で、最終的司法判断においてどちらの見解が採用されようと個人的犠牲や第三者に及ぼす影響も左程でないため容易に従いうる場合ならばともかく、課税物件に対応すべき経済基盤をこえて個人的ないし相続的財産にまで責任が及ぶことが予期されるような賦課課税をなされた場合には応能負担の域を越えているがゆえに、納税者は不安感を募らせ勝敗を度外視しても争わざるをえず、一たび争訟の道に踏み込むに至れば、更正通知書に内在する「公的性」が法的効果として前面に表出してくるものであることを鑑みれば、理由附記はできうる限り、その「公的性」の配慮のもとに、慎重かつ合理性をもつものでなければならない。
(一一) このような観点からみても、本件更正事例のような場合には、更正処分は迅速より慎重性が、合目的性より合理性の尊重が強く要請され、それが結果的には課税・徴収両行政の円滑さとして機能し、行政庁側にも実益をもたらすものであり、このような大局的な意味も含めて、立法者は理由附記規定を設け、最高裁はこの規定の厳格な運用をなすべく効力規定と判示していると解される。
(一二) 元来、先決性を有する「司法的評価」を前提としてなされるべき「税法的評価」は、権限ある司法機関の評価を持つてなすべきが原則であつて、かかる評価を持つ時間的余裕がない場合には、最終司法判断に耐え得るだけの理由を明記して附記すべき責任ある行政庁の当然あるべき姿勢である。
かかる自信がない場合、ないしは疑わしい止まる場合には、課税庁はこれをなすべきではない。本来課税は「国民のための、国民による負担」であつて、課税庁はこの目的のために厳格かつ公平に奉仕すべき役割を分担しているにすぎないのであつて、賭博的確率や斟に頼つて財源を確保することまで求められてはいないはずである。ここに課税要件明確の原則が、租税原則の基本的原則として叫ばれるゆえんがある。
(一三) 改めて言うまでもなく、「税法的評価」とは、税法の解釈適用上の評価であり、税法全体に通ずる税法の解釈適用上の基本原理は、結局、租税法律主義につきるとも言いうるものであるから、法の格別の個別的否認規定がないのに、抽象的で漠然とした「法的評価による更正」なる法理を用いて、課税庁が当事者の認定した法律関係を一方的に否認しうるとすれば、租税法律主義の法的安定性や法予測可能性が極度におかされることになり、そのようなことは租税法律主義の法理のもとでは許されないはずである。
(一四) 本件でいうならば、当事者の設定した関係とは、会員と独立課税単位たる協力会との間の「総有」関係という、つもり協力会は権利能力なき社団であり、会員はその構成員であるという法律関係(当該法律関係が民法上有効とされない場合であつても、当事者が有効と受けとつている場合の関係も含め)を指すものであり、このような法律関係を否認しうる法の格別の個別的規定がなくして、本件更正はなし得ないものであり、もしこのような否認規定があるならば、当該更正理由附記に明記すべきことを租税法律主義の基本原則ともいうべき課税要件明確の原則が青色更正理由附記規定を通じて要求しているものと解される。
(一五) つまるところ、本件更正処分は、他の一般的大量反復的更正事例とは異なり、著しく特定性を有するものであるがため、被上告人の主張するような更正の態様区分法によつて単純に無断されうるような事例ではないのにかかわらず、被上告人がそのような方法によつて独断的主張をなしていることは、取りも直さず、本件青色更正理由附記が課税要件明確の原則を看過し、ないしは回避して恣意的になされたものであることを示し、ひいては租税法律主義に反することになつて、青色更正理由附記規定の法の要求に耐え得ない不備をなし、欠缺の違法性を有していることを如実に物語つているというべきである。
四、理由附記の程度についての法の要求について
1 本件理由附記の程度が法の要求を満しているか否かを判断するに当つて考慮すべき三点として上げた被上告人の主張に次のように反論する。
(一) 被上告人は理由附記を命じた規定の趣旨・目的は第一義的には帳簿調査に基く実額課税の手続的保障であるとしているが、この規定の趣旨・目的は前記一に詳述した通りであつて、適正な手続こそが処分の内容の適正・妥当を担保するものであるという行政手続上の要件の一種として理由附記規定を解すれば、被上告人が第一義と主張していることは、その趣旨の中の一部しかすぎない。
(二) 被上告人は、更正処分の一般論として迅速性、大量回帰性、時間的・予算的制約などの特質を主張するが、そのような一般論をもつてしては、本件のような特定的な更正事例の再発は予防できず、再び同じような犠牲者が出ることは目に見えている。更正事例の具体的特性、特定的な事例か否か、司法的評価が前提として不可欠な事例かどうかの厳密な検討とそれに対応すべき理由附記の程度の厳格な判断の必要性を指摘したい。
(三) 被上告人は処分庁の判断の慎重さは、二段階の不服申立手続制度により、また恣意の抑制は準司法的不服審査制度により担保されると説くが、これは課税庁と納税者とを実質的力関係において対等視する議論であつて、もとより大多数の納税者はその組織力、経済的バツクボーン、専門的知識力において比較にならぬほど弱小であることを考慮すれば、これらの制度の存在することだけでは即担保価値を有することにはならず単に後手後手の補償的事後救済措置としての役割しか期待できないのが実情であることを看過した主張である。
最終的訴訟救済制度についても、それが制度として用意されているだけでは何らの担保価値もない。ある程度の訴訟遂行能力がなければ訴訟手続にさえのせることができず、差押や仮処分などの強行保全措置がとられていれば代理人依頼も不可能である。そうかといつて訴訟救助を頼むほどでもない、という納税者が一番多のではないだろうか。実質的関係の差異については、単純な実例が本件のように、原告一人に対して被告が七~八人も常時訴訟に参加させうることが証明している。
(四) 現行の異議申立審理は当初更正と同一の課税庁の見直しであるため、理由の不備を補うことに重点がおかれ、根本的見直しはなされず、審査機関は、納税者が慎重な「理由」よりも早い「妥当」を求めている場合であつても、何ら仲介の機能を有せず、人事面からみても法律面からみても、あくまでも審判所は国税庁付属の行政機関(大蔵省設置法三九条一項)であつて、準司法機関ではないにもかかわらず、被上告人が主張するように準司法的「理由」を求めて遅い慎重とわずかの利益、その利益といつても司法的にみれば利益ではなくて実質的な損失であつて、過大更正をした更正処分よりはいくらかましな処分にすぎない内容のものに止まつている事例が多く、加えて「見直し」といい「審査」といい、必要なこととはいえ、実質的には「再調査」の繰り返し、あるいは課税庁側の故意ともとれるような微に入り細に入るような所得の再点検や別途更正ないし再更正、たとえば除斥期間を経過したようなものにまで再更正処分をしたり、充当したりするような煩わしさを与えてけん制したり、表面化しないプレツシヤーを加えたりするような例が多いのではなかろうか。
(五) 慎重さのために時間がかつては、わずかな損失を救済しても、付滞税の付加や特典利益の逸失等により何ら実益がないに等しくなるのが現行税制の矛盾した実態なのである。ましてや司法機関が慎重さのゆえに長期間を要することは今日の常識であつて、これは専門的知識のない納税者が訴訟に立ち向かうためには民事・行政に関する訴訟手続と法律用語の知識の習得から始めなければならない場合もあるのであるから、やむを得ないものとすれば、納税者の真の担保は一体どこに求められるであろうか。それはあくまでも後の恩恵的な事後救済や賠償にではなくて、予防的で安全な担保でなければならず、それゆえそれは当初課税段階における更正手続履践にしかない。
そして、それを手続的に保障するものが理由附記規定なのであるから、この手続的保障というものは、単に被上告人のいう帳簿調査に基づく実額課税のためのみにあるのではなく、まずもつて課税処分の内容的適正を保障することを目的とするものであることを銘記しなければならない。
(六) かかる現行救済制度の実態と矛盾からみるならば、一層理由附記規定の法の要求を満たすべき附記の程度についての条件は、いかに厳格であるべきかが理解されうるのであつて、更正処分の迅速さや制度間の利益の調和のために、理由附記の程度をないがしろにしてよいという合理的な理由は何ら存在せず、それが曖昧であればあるほど、納税者の担保価値は減価して行くものであることに思いを至せば、これらのことを深慮することなく軽視して過大な租税負担を納税者に課して不用な争いに浪費することこそ、大局的にみれば、適正課税と課税の公平をそこない利益の調和よりもむしろ損失の弊害をもたらすものにしか過ぎない結果となるであろう。
2 本件における附記理由とその違法性について
(一) 本件附記理由の違法事由として上げられることは、まず協力会の収益の帰属認定の先決的前提である「協力会は権利能力なき社団であるか否か」という司法的評価について、民法上の法概念たる「権利能力なき社団」の字句は勿論のこと、その成立要件と協力会の事実関係についての説示は何らなされず、税法的評価についても、税法上の法概念たる「人格なき社団」の字句は言うに及ばず、「権利能力なき社団」との借用概念関係や「人格なき社団」関連の条文規定との関係についての説示は何らなされていなかつたことである。
したがつて、何ゆえ協力会はその社団性を否定せられ権利能力なき社団と認められず、かつ人格なき社団として法人とみなし得ないか、協力会が権利能力なき社団として認められなければ何ゆえ協力会が大次郎個人の営利事業体となるのか、についての判断の内容ならびに具体的基準およびその法的根拠についての明記が全く欠如していた。
(二) 次に、本件附記理由には、協力会の収益はなぜ課税対象となるのか、その課税対象となる収益の収入金額一、六八九万円は一体何であるのか(登録手数料収入であるとの説明も、その内訳の明細も記されていない)、収入金額は登録手数料収入であるとして、登録手続が完了していない会員の前受手数料がなぜ預り金として負債に計上されず収入金額にみなされるのか、寄附金収入は会員からの贈与であるのに、相続税法が適用されず、なぜ事業所得の収入金額と認定されるのか等について、課税所得の存否、収入金額の具体的内容とその認定の法的根拠ならびに「収入すべき金額」はいつ、どのようにして確定したのか、という権利確定主義についての個別的・具体的事実認定とその理由など、課税物件に関する判断の内容と基準ならびに法的根拠と具体的資料の摘示がなされていなかつた。
(三) 協力会の収益が課税対象になると仮定して、その課税物件の帰属者が協力会自体でなくて、大次郎個人とみなされるべき法律上のないしは経済上の帰属事由に関する具体的内容と法的根拠、課税上の原則および適用条文の明記がなされていない。実質所得者課税の原則によつたのか、よつたとすればなぜその原則が適用されなければならないか、協力会とその構成員たる会員との間の総有関係(この法律関係が民法上有効とされない場合であつても、当事者が有効と受けとつている関係も含む)を法の格別の否認規定がないのに一方的に課税庁が否認し、独自の関係、すなわち協力会の租税債権債務はすべて大次郎個人に帰属するという法律関係として評価し認定し得る権限は一体どこにあるのか。何らかの格別の「みなし規定」でもあるのか。租税法律主義は当事者の設定した法律関係をはなれて、課税上独自の関係を認定するには、法の具体的・個別的な要件規定の存在を要求しているにもかかわらず、何らこの重要で不可欠な法的評価についての言及がなされていない。
(四) 納税義務者が大次郎個人であると仮定して、必要経費の金額五〇六万七一五〇円はいかにして算出されたのか、どの勘定科目につきいくらの金額を必要経費として認めないしは認めなかつたのか、各市町村に対する寄付金はなぜ必要経費として認められるのか、通常は所得控除の一つである寄付金控除の対象ではなかつたのか、生計を一にする親族に対する給料は専従者給与とならないのか、届出がなくても給料として認められるのは勤労性所得であるからなのか、そうであれば大次郎の給料は勤労性所得であるのになぜ否認されるのか、家事関連費はないのか、あるとすればどのようにあん分されたのか、備品費は協力会の資産に計上されているものを全額必要経費にみたのか、資本的支出はないのか、少額資産でない減価償却資産の対象となるべき資産はないのか、減価償却費の計算はどのようにしてなされたのか、電話加入権や敷金などは固定資産として経費から除外したのか、負債にはいかなる科目にいかなる金額を認め剰余金はどのようなかたちで次期の元入金となるのか(資産と負債の金額的評価が明確にされなければ、個人事業の次期の元入金は定まらず、次期の記帳や決算書の作成は適確になしえない)。協力会の収支決算書と大次郎-個人の青色決算書(課税庁が事業所得とみなした結果の損益計算書ならびに貸借対照表等を指す)とを対比して、どの勘定科目につきいくらの金額をどのようにして認定しなおしたのか等の記載ならびに関係資料が一切摘示されず添付もなされておらず、処分の対象が漫然として不明確であつた。
(五) 納税義務者が大次郎個人であると仮定して、専用権実施料についても、なぜパテント的対価性がないのか、対価性がないというのは協力会の加入登録システムや協力金送金システムがいいかげんになされているからなのか、無限分裂拡大する会員の統一的システム登録整理事務に何らの困難性もないからなのか、それとも手数料収入が単なる営利的仲介手数料であつて、専用権の対象となるシステムがあつてもなくても登録手続はでき、何ら収入に影響はないから対価性が認められないというのか、役員会の議決があつても親子関係があり、任意性があるというのは、法的にどういう意味をもち、それがどうして経費否認に繋がるのか、同族会社のように親子の出資口数が過半数を制しているとでもいうのか、同族会社に類似しているとみて行為計算の否認規定を準用するという意味なのか、協力会に出資金はあつたのか、何を出資金とみなしているのか、そのよう様な「みなし規定」あるいは準用判例でもあつたのか、任意性とは一体何を指しているのか、役員会の議決のあるものがどうして任意性があるものとなるのか、親子関係があればいかなる法的手続にもかかわらず任意性があることになるのか、無償の贈与という意味か、無償の贈与を役員会が承認したとでもいうのか、等について個別的・具体的事実の認定と法の適用ならびに合理的理由について何らの明記もなく、資料の摘示もなかつた。
(六) 課税庁の、本件更正事由の根幹である、「事業所得であるとの認定」が法的妥当性を有するとすれば、その妥当性はその細部の認定においても一貫して適用されるべきものでなければならず、その細部の認定事項の附記理由としては、少なくとも、所得税法一四九条(青色申告書に添付すべき書類)の規定の反射効果として、その事業所得にかかわる貸借対照表ならびに損益計算書その他の明細書を添付すべきことを法が要求していると解される。
なぜなら、本件更正は、納税者との間に租税要件の根幹について見解を異にし、それが、単に納税者が提出した決算書の中の一部についての「税務認定」にかかわるものではなくて、納税者側にとつては、事業所得にかかわる決算書を添付して事業所得を申告すべきか否かという課税要件の全般にわたる法的評価が不可欠なものであり、かつ納税者が事業所得にかかわる決算書を添付して事業所得を申告しなかつたことにつき、真実を疑うに足りる不実の仮装行為等の、青色申告の承認を取消すほどの格別の事由も存しないことを課税庁が認めている場合には、課税庁が善良な納税者を説得しうる適正かつ合理的理由を開示しえなかつたときの危険責任は課税庁が負うべきであり、かかる場合には所得税法一四九条の法効果が反射して課税庁に移行され、従つて、課税庁が納税者の立場に立つて、いかに決算し申告すべきが適正かつ合理的であるかを具体的に表示すべきものとして、同条の規定に基づく決算書類を作成し添付する義務を負うべきことを、同条と同様に青色申告書関連条文である同法一五五条二項の青色更正理由附記規定が要求しているものであるからである。かかる添付もなされていなかつた本件更正理由附記には明らかに手続的違法がある。
(七) 本件に関しては、当初より納税者側と課税庁側との間に協力会の社団性に関する見解が相違し、協力会は社団性を有しているものとの見解を前提に、納税者側が課税庁に対し、課税庁側の見解についての具体的理由の開示を求めた事実、ならびに協力会が外観上も社団性を呈していた事実および道新記事上にも「税法上の問題がない」旨の国税局当局者の見解が公表されていた事実があり、これらの見解とこれに関する事実があつた以上、本件のような更正をなす場合には、当然、協力会の社団性に関する法的判断の是非が問われることが必須の情況下にあつたにもかかわらず本件更正理由附記には、これに関する法的評価の内容について何らの説示もなく、単に結論として大次郎個人の事業所得として「申告の要」があることのみを附記するにとどまり、しかも役員会の存在を知りながら、協力会の社団性を否定し、役員会の議決があつても任意性があるというような漫然かつ矛盾した附記理由による課税の認定をなしているため、納税義務者にされた被相続人は、この矛盾しかつ漫然とした附記理由のゆえに、法的不安定性と法予測不可能性の深淵に突き落される結果となつたものである。
(八) 「法律が理由を附記すべき旨を規定しているのは、行政機関として、その結論に到達した理由を相手方たる国民に知らしめることを義務づけているのであつて、これを反面からいえば、国民は自己の主張に対する行政機関の判断とその理由とを要求する権利を持つともいえるのである」との最高裁判示(最判二小、昭三七・一二・二六、民集一六巻一二号二五五七頁)からすれば、本件更正理由附記は、まさに「結論のみ」の附記に止まり、「結論に到達した理由を知らせる義務」に反し、納税者側の見解の主張に対する課税庁の判断とその理由とを要求する権利にこたえ得ない「理由にならない理由附記」であつたといえる。
(九) また、被上告人は、本件更正は帳簿書類の記載内容を否認して更正したものでない(ただし、法適用を異にすることにより必然的に否定される事項は別問題である)から、本件更正理由附記で充分である旨の主張をなしているが、本件理由附記の内容だけでは、帳簿書類の記載の金額を否認しないで更正したのか、新たな証拠資料によつて否認しあるいは附加して認定課税したのか、どの勘定科目につきいくらの金額をどのように認定し、そのように認定することがどうして正当なのかは全く判然としないし、法の適用に関しても何らの記載がないため、どのような法の適用により協力会が独立課税単位として認められず、どのような法の適用により、どのような会計事実が必然的に否定され、どの帳簿書類のどの部分の最良証拠力が必然的に否定されるのかについて知る由もなかつたものであるから、「法の適用を異にすることにより必然的に否定される事項」を「別問題」として扱うことはできない。
「別問題」として扱いうる必然性以前の附記理由の不備と欠缺がより問題なのである。
(一〇) したがつて、本件更正理由附記は、先決的前提たる司法評価と、その前提に基づく税法的評価について、両者ともに、個別的具体的な事実の認定と法の適用ならびに合理的な理由の明示を要するという課税段階における公平手続履践に反する手続上の違法があつたものであるから、当然青色更正理由附記規定の趣旨に反していることは明らかである。
(一一) さらに、納税者にとつて有利であるとはいえ、本件更正が法的妥当性を有していると仮定した場合の納税者のなした帳簿書類の作成ならびに過少申告行為の重大さからすれば、所得税法一五〇条(青色申告承認の取消し)の規定により、青色申告承認の取消が必須であつたにもかかわらず、取消はなく、逆に青色申告にかかわる不服申立手続の任意選択(通則法七五条四項一号)の教示が本件更正通知書に記載されているという風に、救済手続上は一見納税者に温情的であるが、その更正内容は、極めて過大な過誤の存する過酷な課税負担を強いるものであり、徴収は賦課の正当性を盾に課税物件対応と応能負担の原則をこえて、個人的財産にまで過剰といえる程の保全措置をなしていつまでも解くことなく、不服審査段階は長期間を要し、訴訟段階にてその更正事由を明らかにすればする程、被上告人は当初更正の救済手続上の温情的取扱いをなした事実が真実を疑うに足りる不実の仮装行為等の青色申告承認取消事由が存しないことを証明しているにもかかわらず、これに矛盾する租税回避のための仮装行為であるとかの予断的主張をなし、理由附記についてはこれを正当化するべく「法的評価による更正」なる法理、すなわち権力的法理を用いて独断的な主張をなしてくることからみて、本件更正通知書を詳細に再検討すればする程、疑問点と矛盾点が数限りなく湧出してくるのであり、このことは本件更正処分のもつ重大さを認識せず、ないしは認識しながらも厳密な「理由」を回避して、いかに漫然と恣意的になされたものであるかを示し、その恣意性が理由附記自体に自ずと反映して慎重さと合理性の欠如となつて表出しているものである。
(一二) このような理由附記であつたから、文献調査をすればする程、課税庁の結論から推理する判断に疑義が生まれ、専門家の求意見によつても当否が判定できるものではなく、被上告人が「準司法的」と称する審判所の審判官でさえ頭をかしげて審理に長期間を要した事実からして、被上告人が掲げた裁判例の判示にあるような「その結論が示されれば文献調査、専門家の求意見によつてその判断当否が判定できる」ような簡単な更正事例ではなかつたし、事実に精通している納税者にとつては、社会通念的常識論からすれば、申告事例としては、いとも簡単なのだが、無理に更正した課税庁の「附記理由」自体からその法的判断を導き出そうとすればする程、推理が矛盾撞着に陥つてしまう結果となるのである。
本件更正事例について、被上告人のあげた判例は当てはまらず「課税庁職員の事務の煩さと過重」より、納税者の「課税庁の法解釈を附記理由より推理する煩しさと過重」を強いる結果を秤量すれば、被上告人はそのような主張をなし得ないはずである。
(一三) 被相続人の申告に当つての判断は単純明解であつた。「協力会は任意団体である。なぜなら規約も役員会も存在し、決算報告も行なつたから、老人クラブや青色申告会、町内会その他の諸団体も同様の手順によつて任意団体である。任意団体の収益は営利を目的としないから非課税であり、かつ代表者個人の事業所得として課税されることはない。
従つて大次郎個人に事業所得はない」。このような判断をなすに当つては「権利能力なき社団」であるとか「人格なき社団」であるとかの専門的法律概念やその成立要件などの認識は要せず(事実、被告署長宛の質問状においても「任意団体」という用語しか使われていない)、ごく一般社会常識論をもつてすればなし得る合理的な判断である。
難しいのは、この一般社会通念を否定して、本件更正のような処分を正当化してなし得る法的判断である。課税庁内部において、この裏付けとしての前記法律概念に基づく法的判断が用意されていたとしても、これが理由附記に表示されなければ、意思表示としても、概念の通知行為としても法効果を有するものとはならない。なぜなら、納税者は課税庁の法的判断と事実関係を「確認」し、それが正当なものであるかどうかをチエツクすることができないからである。確認しチエツクすることができないものに従うことができないことは当然である。
(一四) 異議決定通知書により知り得た「権利能力なき社団」なる法律用語につき文献調査をしても「団体としての構成員とは別個の独自の名称、事務所(活動の本拠)また事業目的を有していることは『団体としての組織をそなえていること』になり、『組織の管理運営の主要な点に関する確定』も定款や規約等の書面のうえで確定していることまで要せず、かつ多数決の原則と構成員の変更にかかわらず団体が存続すれば『権利能力なき社団』の成立要件を具備することになる」(山田二郎著「税務訴訟の理論と実際」(財経詳報社)一二九~一三〇頁参照)との見解や、「人格なき社団」関連法律条文(国税通則法三条、国税徴収法三条、所得税法二条一項八号、同法四条、法人税法三条)をみても、代表者の定めがある社団は法人とみなすと規定しており、また明文上で規定していない場合でも、納税義務者のうちに権利能力なき社団を当然に含むものと解している判例(入場税法三条、東京高裁昭四七・六・二八判決、訴訟月報一八・八・八六)もあり、これらの見解や法律条文や判例に照らせば、協力会が、独立課税単位として納税義務者になりうる場合があるとしても、大次郎個人が課税物件に対応すべき納税義務者になり得る法予測可能性は全くないのにもかかわらず、当初更正段階における附記理由が「権利能力なき社団」ないし「人格なき社団」の成立要件や法律の適用解釈について何ら言及することなく「申告を要す」では、社会通念上からみても、誰れもが首を傾げたくなるような「理由にならない理由」の附記としか言いようのないものであつた。
(一五) まとめるなら、本件更正理由附記は、本件更正処分が更正事例としては極めて特種性を有し、かつあらかじめ租税要件の根幹について納税者側と課税庁側との間に見解が相違し、納税者側が課税庁に対し、その相違点につき課税庁側の見解をただし、その具体的法的根拠の呈示を求めた事実ならびに課税庁側の「税法上の問題なし」との新聞公表の事実があつたにもかかわらず、納税者側の見解と異なる見解に基づく更正を課税庁がなす以上、その最も重要な争点となるべき「権利能力なき社団」に関する司法的評価について明確な理由の開示が絶対不可欠であつたにもかかわらず、本件更正にかかわる税務認定の先決的前提たるべき司法的評価について、判断の内容と事実の認定ならびに法の適用についての個別的・具体的明記がなく、その税務認定たる税法的評価についても、「人格なき社団」や所得の存否・帰属・権利確定等の課税要件の根幹にわたる法的根拠と事実の認定ならびに客観的資料についての個別的・具体的明示と摘示がなされず、漫然として不明確なものであり、また仮りに、課税庁のなした事業所得の認定が法的妥当性を有するものであつたとしても、本件理由附記自体だけでは、その所得金額の算出基礎である収入金額ならびに必要経費の金額についての表示も公式的数額のみであるため、帳簿書類との関連においてどのように認定したのか、あるいは帳簿書類記載の金額を否認して更正したものかどうかも判断とせず、争の対象となるべき個別的・具体的処分が特定せず、かつ附記理由自体に矛盾と曖昧さと恣意を内包し、合理性を欠くものでありとうてい青色更正理由附記規定の法の要求を満たし得る内容のものでなかつたということができる。
(一六) よつて、本件更正理由附記には、青色更正理由附記としての不備・欠缺の違法が明らかにあり、これのみをもつてしても、本件更正処分は取消されるべきであるが、被上告人の主張を全面的に採用し、上告人の主張を少しも採り入れずに本件更正理由附記に不備違法はないとした原判決は不合理であるから上告人は全く不服であり、当然原判決は破棄されるべきである。
五、更正理由附記に関する原判決の判断の誤りについて
1 前記二・1に列記した最高裁判例中<3>の判例において「再調査決定の附記理由が仮りに不備でなかつたとしても、これによつて遡つて更正処分の附記理由の不備が治癒されると解することはできない。」とし、同<4>の判例において「更正における附記理由不備の瑕疵は、後日これに対する審査裁決において処分の具体的根拠が明らかにされたとしても、それにより治癒されるものではないと解すべきである。」と判示されている趣旨は、明らかに、更正処分時点の附記理由が完全であることを求め、もつて処分庁の判断の慎重と合理性を担保とするとともに、処分の根拠を納税者に明示し、争いの対象となる処分の特定をなすべきことを要するものであり、かかる観点からすれば甲第一号証に明記された附記理由の内容は、全文全体の合理性において、矛盾なく完全でかつ一般常識を有する納税者がみて納得しうる程度に明示されていなければならず、必要経費中の一科目の否認が、後に裁決によつて取消され是正されたとしても、その科目についてなされた附記理由中の否認理由が、その附記理由の全体としての合理性を損うものであるときは、更正処分時の附記理由としては、不十分で不備であるというべきところ、原判決は、これを分離し、裁決で取消された経費科目の否認理由に関する部分を除外して判断していることは、附記理由に不可欠な全体的合理性と一貫性を否定する判断であり、右最高裁判例の趣旨に反するものであるから違法というべきである。
2 すなわち、原判決は、専用実施権科に関する部分の附記理由については、裁決によつて必要経費として認められているから、附記理由が不備であつたかどうかの判断から除外される旨の説示をなしているが、更正理由附記の違法が問題とされるのは、更正処分の内容と附記理由の内容との相互関連において、全体として合理的であるのか、納税者を納得させうる合理的な理由の明示がなされているか否かということが問題なのであり、本件理由附記の専用実施権科の否認理由中に記された「支払額について役員会の議決はあるとしてもあなたと納谷興平氏とは親子関係であり、任意性がある。」との字句は、単に専用実施権料の否認理由に止まらない事実認定と判断の説示であり、ましてや、本件更正理由の最重要点である大次郎が「個人の事業所得として、申告の要がある」事由は何ら掲記されていないのであるから、その「申告を要す」理由が、専用実施権料で支払われた金銭が親子関係による任意贈与で自由勝手に協力会の金を費消したものであるから、役員会の議決があつても必要経費として否認され、かつ大次郎個人の事業所得として申告を要することになるべきであるということにあると説示しているとしか解しようがなく、これでは理由にならない理由であることは前記四、2のところで詳述した通りである。
3 更正処分の理由附記が処分時において、理由全体が完全でなければならない実例として、もし更正処分段階で専用実施権料について裁決と同様の合理的判断を下して必要経費に認めていれば、大次郎の租税負担は著しく軽減しており、それゆえその他の更正理由に納得できなくても大次郎個人の経済的偽性的行為により受忍し、かつ翌年分の損失申告により栗戻し還付の恩典を利用して、円満早期解決が計られ、長期の争訟が避けられ得たかも知れないと言い得るものであり、したがつて理由附記不備の判断の対象から専用実施権料に関する部分を除外して判断した原判決は、更正理由附記の全体的合理性のみならず、納税者救済に対する考慮は少しもない行政サイドの判決と言わざるを得ない。
4 また仮に、協力会の収益金が大次郎個人の事業所得であるとの原判決判示が妥当であつたとしても、かくべき判断の結論に到達するためには、司法の専門家さえ、課税各要件事実ならびに根拠法について判断しなけれがそれが法的に妥当なものであるか否かは結論を下し得ず、また原判決の所得の帰属事由の事実認定の大半は前記第一点で述べたように、客観的に明白な証拠と対比して論理則上ないし経験則上、採証の法則に違背する違法な認定であるとともに、法の適用にあつては無限連鎖講防止法という、更正処分当時何ら制定も施行もされていない法律を根拠として結論を下している点からみても、被上告人署長が同防止法を根拠として判断することは不能であつたにもかかわらず、これを根拠法とし、かつ同法に定義された無限連鎖講という法律用語を使用せず、漠然とした俗称「ねずみ講」なる用語を用いて協力会を断定している原判決判示に従えば、被上告人署長は同法を根拠法としてないしは、協力会がねずみ講であるがゆえに、本件更正処分の法的評価が行なわれるべきであつたことになるから、所得の帰属理由についての原判決自体は違法で不合理な判示であるというべきではあるが、反面逆説的には、本件更正処分の理由附記不備を自ら証明しているとも言いうるものである。
5 すなわち、本件更正理由附記には、収益の帰属についての、前記大地点、1・(3)にあげたような主要な課税要件事実の明示ならびに根拠法となるべき無限連鎖講防止法なる字句も、無限連鎖講ないしねずみ講なる字句も存在せず、各要件事実についての法的判断の内容ならびに同法をはじめとする根拠法についての明示は何らなされておらず、単に被上告人が後に言うところの法的評価の結果の総額算式のみを記したものであつて、合理的な理由は何ら記されていない。
6 制定も施行もされていない法律を前提とする判断が本件所得の帰属の判断基準として不可欠であつたとするならば、被上告人署長のみならず、納税者たる大次郎が一般常識をもつてしても、協力会の収益金を自己個人の事業所得として自判し得ず、ましてや「申告を要す」と認められる要件事実の明示のない本件更正理由附記の限度からは、常識的に法的妥当性を理解し納得し、かつ確認することができなかつたのは当然というべきである。
7 またもし、協力会の帳簿書類の記載との関係における所得の帰属に関する原判決が妥当とすれば、青色申告をしている事業所得者であるところの、あらゆる非課税団体の代表者は、その団体の帳簿書類が非課税団体にふさわしく正規に記されていたとしても税務署長が恣意的であれ、権力的であれ、その団体の収益金が代表者個人の事業所得として個人に帰属するものとみなせば、その合理的な帰属事由の明示なしに、結論のみ、すなわち「あなた個人の事業所得として申告の要がある」と記したのみで更正処分をなし得ることになり、これでは更正処分段階における公正手続履践は担保されず、所得税法一五五条二項の規定は勇名無実となつて形骸化することになるであろう。
8 特に、本件更正は、青色申告の承認取消しをすることなく、税法所定の帳簿書類を備えている青色申告者として処遇したうえでなされた更正であるから、かかる場合には、よほどはつきりした事由と法的根拠ならびに資料の提示がなければならないことを法は要求しているものとみなければならないから、被上告人署長が、協力会を独立課税単位として認められない事由ならびに協力会の収益金が大次郎個人の事業所得として認定し得る事由、その根拠資料ならびに適用条文等の明記が何らなされていなかつた本件更正理由附記は明らかに青色更正理由附記の趣旨に反して違法であるにもかかわらず、これを適法とした原判決は違法であつて当然破棄されるべきものである。
第三点 原判決の差押公示書の瑕疵についての法解釈は違法である。
一、差押公示書の瑕疵と法効果について
1 国税徴収法六〇条二項に「公示書その他差押を明白にする方法により差押えた旨を表示した時に、差押の効力が生ずる。」と規定し、同徴収法施行令二六条にこの公示書の表示には「差押年月日」を明らかにすべきことを規定している法の趣旨は、差押公示書に記載された日付を効力の発生要件として対外的に明確に宣言し無用な争いを生じないように為すべきことにあると解せられるから、差押効力の発生時期は、差押調書謄本の交付時でも、事実上の公示書手渡時(公示書手渡し日と公示書の差押年月日が一致すべきが適法要件であるから、一致していないことは当然違法であるが、)でもなく、公示書に表記された年月日である。
2 また本件差押公示書の表示を一般人が見て日付の誤記が一見して判別できるような外観上客観的に明白である場合を除き、誰れが見ても本件差押公示書による差押処分が昭和四六寝ん四月二一日に行なわれたものとしか見えないような本件の場合には、故意・過失にかかわらず、行政行為の表示主義の原則により、たとえ誤記であつても、その表示行為が正当の権限ある被上告人局長名をもつてなされている以上、公法上の意思表示として公示書に表示されているとおりの行政行為があつたものとして、一応形式上の効力は昭和四六寝ん四月二一日に発生し、法律行為的行政行為としての法効果を生ずる。
3 前記2に関連する判例として「意思表示の錯誤による表示行為であつても対外的効力は書面に表示されているとおりの行政行為があつたものと認めなければならない。」(最高裁三小昭二九・九・二八判決、民集八巻九号一七七九頁。)、「単なる誤記であつてもその対外的効力として受けるべき損失の責任は、徴収処分庁が担うべきものである。」(大正一一・四・二九行判、行録三二揖四九六頁。)などがある。
4 とすれば、確定申告(昭和四六年三月十五日)と更正処分(昭和四十七年二月一〇日)という租税債権債務の基本的確定手続行為の間に、保全差押、繰上請求等の特別な租税保全措置を講ずべき特定の要件事由に何ら該当せず、またそれに必要な手続行為を経ていないにもかかわらず、昭和四六年四月二一日付の差押公示がなされ、その表示するところに従つて効力が発生したことになるから、本件差押公示書の瑕疵は、申告納税方式上の実定法上定位立されている確定手続順位に抵触する重大かつ明白な瑕疵と解される。
5 特に差押公示書は明瞭かつ公然と衆目にさらすを旨とする公文書の典型としてみた場合、それを一見したる者は誤記であるかどうかの予断なく、その効力と発生日はその公示書の表記された内容と日付を事実として信じ、その日付から国税犯則取締法の規定による差押がなされたかの如く、かかる差押の原因を推測し、それによつてそれにかかわる人物の人格的・経済的信用の価値評価を行ない、無言の社会的制裁を加えて来ることは言うまでもなく、そのようなことに対して受忍を強いる威力を有する差押公示行為、すなわち殊に自力執行的下命的行政行為は、公定力さえ贈与されている公権力の行使の最たるものとして一日の相違なき慎重さが要請され、司法審査を経ることなく直ちに効力を生ぜしめる通用性が与えられていればこそ、相手方や第三者利害関係人の保護要請は、他の行政行為に比して著しく重要であるにもかかわらず、たとえ誤記であつたとしても、本件のような特殊な事例について、このような効力要件上の明白な誤謬を単なる軽微な瑕疵として回避することは許し難く、もしその瑕疵の及ぼす影響力を無視して国民の権利保護の見地からみても看過し得ないほど重大でないというならば、故意に意図して、公定力を遡及的に発生せしめるべく日付を異動して差押公示を行ない、国民の権利利益と利害関係人の利益を遡及的に不当に侵害しようとする徴収権の権利濫用さえ許される弊害が生じることになるであろう。
6 かかる弊害の発生を未然に予防し、公権力の自力執行的徴収行為の慎重さを国民に担保させるためには、協力無効原因の範囲を拡張すべきであり、特に、更正処分に不服申立をなし実質的に確定していない租税債権の徴収処分行為上の瑕疵は、公定力に内在する違法性と公定力を賦課・徴収の二重に利用し得る租税債権の特殊性、そしてこれに対してこれを覆すに要する不服申立前置を含めた争訟手続の繁雑難解さと精神的・時間的金銭的経済性を配慮してその瑕疵の軽重の判断を下されるべきである。
7 従つて、差押公示行為がその相手方のみならず、関係行政庁をも拘束する効力、すなわち拘束力を有すると同時に、誤記の違法があつても一応表示通り適法の推定を受け、相手方だけでなく第三者や国家機関も無視できない公定力としての効力をもつものであればこそ、その瑕疵の及ぼす法効果が他の瑕疵を累乗的に生ぜしめる程重要かつ広範囲であり、かつその瑕疵の存在が明白である場合、加えて一つの公定力がその前提要件たる他の公定力の成立基礎とする手続基盤を破損せしめる違法がある場合には、終局として全体的に無効な行政行為となると解すべきである。
8 ゆえに、本件にかかわる差押公示書による公示行為は、少なくとも形式的に瑕疵ある行政行為であることは明白であり、かつその瑕疵は同一手続内の瑕疵に止まらず、その前提要件としての確定手続上の瑕疵をも派生せしめ、加えてその瑕疵をもたらした源泉が差押公示という公権力行使行為の典型として、その法効果の国民の権利利益・信用ならびに利害関係人と関係行政庁に及ぼす影響的威力が直接的にしてかつ協力・重大であることを鑑みれば、全体的に累積される瑕疵は明白かつ重大であると言うべきであり、瑕疵の性質上からみても、命令的・強行的・重要的および明白性を有するものであつて、いわば徴収権としての公定力の、申告納税方式の確定手続順序ならびに賦課権としての公定力の前提要件たる更正処分という根幹の手続順位に対する自壊的切断・破損行為となるから、行政行為上の「重要事項」についての瑕疵と言うべきである。
9 前記瑕疵が、公定力の賦与されている行政庁間、すなわち徴収庁のなした課税庁への課税の確定手続順位への破損行為ないし自主申告納税方式の確定手続順位への抵触行為となる場合の責任はどちらにせよ行政庁側が担うべきものであり、そうでなければ納税者ならびにその利害関係者は、徴収担当官の意図的誤記から生ずる損害を防止し得ず、またかかる誤記の存する差押処分ならびにその後行政行為等のすべてを無効と信じて不服申立前置を徒過してしまう等の行政庁の欺罔的眩惑行為の犠牲が常時発生してしまう結果となり、行政庁の更正手続履践は保障され得ない。
10 したがつて、正に右の破損ないし抵触行為となり、かつ結果的には大次郎を右の犠牲者的立場に追い込んだ本件差押公示書の瑕疵について原判決は何らの配慮もすることなくかかる観点を無視してなされており、国民の権利自由を制限する行政行為は、慎重かつ責任をもつて行なわれるよう求めるためにも、原判決は違法で破棄されるべきである。
「個人は公正な手続によつて処分を受くべき法的利益を有し、更正手続によらず処分がなされた場合、それは右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となる」(最高裁一小判決・昭和四六・一〇・二八、民集二五巻奈号一〇三七頁。)
第四点 原判決の主位的請求2及び第二位的請求2についての判断、手続に過誤があり違法である。
一、本件徴収処分の経過についての原判決の事実認定は違法である。
1 本件動産は協力会所有に属するものであり、これを大次郎個人所有のものとした原判決の認定は証拠上違法であるし、協力会の収益金が大次郎個人の事業所得になるとの判断は誤りであるから、本件動産は大次郎個人所有のものではなく、また乙第二号証の1(動産差押調書)は徴収担当官が記載したものに強制的に押印させられ、乙第四号証の1は形式上の滞納者名を記載しなければ本件動産使用許可がおりないからやむを得ず記載し署名押印したものでありこれをもつて本件動産を事実上大次郎個人所有のものであつたと認定することはできない。
2 本件不動産の売買残代金の差押処分が行なわれたのは、事実昭和四七年四月二一日であるから、同年同月二〇日に行なわれたとの原判決の認定は違法な認定である。右差押処分が現実に行なわれたのは同年同月二一日であることのほか、債権差押処分の効力は国税徴収法六二条三項の規定により債権差押通知書を第三債務者が受領した日に発生することになつているから、乙第一号証(不動産売買残代金の差押調書)によれば同代金の債権差押通知書を第三債務者たる補助参加人が受領した日は経験則上、すぐ上らん記載の大次郎が受領した同年同月二一日と同一と認定されるのが常識であるから、原判決は経験則に反した事実認定をなしている。
3 すなわち、乙第一号証の差押調書謄本受領蘭に「昭和四七年四月二一日」と明記の上大次郎の署名押印がなされ、そのすぐ下欄の債権差押通知書(第三債務者あて)受領欄に「代表取締役納谷興平」の署名押印がなされ、かつ上記中間の第三債務者の居所・名称らんにそれぞれ「北見市番場町二番九号」、「有限会社ハニーハウス代表取締役納谷興平」と明記されているのであるから、債権差押通知書受領欄の日付が空欄となつていても、すぐ上欄の日付と同一であるために省略したものであるから補助参加人が事実上受領したのは昭和四七年四月二一日であることは明白に立証されている。
4 さらに本件不動産売買残代金の差押処分が行なわれた日が昭和四七年四月二一日であることは、後記二ないし三に記すように、民訴上ならびに行訴上の自白がなされており、この事実は争いのない事実である。
二、本件不動産の売買代金の差押え日についての民事訴訟上の自白について
1 被上告人らの事務の帰属する国は、原告を国、被告を上告人補助参加人とする釧路地方裁判所北見支部昭和五〇年(ワ)第八号土地・建物所有権移転登記抹消登記請求事件における昭和五〇年一〇月一六日付準備書面(甲第五四号証)の第二、2の六行目において「原告(国)は租税債権保全のため昭和四七年四月二一日その残代金三一万二七八〇円を国税徴収法六二条に基き差押えをした。」と陳述した。(甲第五七号証)
2 上告人補助参加人は右抹消登記請求事件における昭和五〇年一二月二二日付準備書面(甲第五五号証)の四・3・(二)・(4)において「昭和四七年四月二一日被相続人(大次郎)と被告会社(上告人補助参加人)との間の売買残代金の金額三一万二七八〇円を差押えた。」と援用陳述をなしている。(甲第五七号証)
3 右抹消登記請求事件の第七回口頭弁論調書の弁論の要領の原告欄に記載されている昭和五一年一月一二日付訂正申立書(甲第五六号証)において前記1の陳述を訂正した事実はない。
4 したがつて、被上告人らの事務責任の帰属する国が、被上告人局長によつて本件不動産の売買残代金を差押えたのは昭和四七年四月二一日であつて、同年同月二〇日ではなく、この事実は民事訴訟法第二五七条規定の先行自白により争いのない事実である。
三、本件不動産の売買残代金の差押え日についての行政事件訴訟上の自白について
1 上告人は、一審の昭和五三年一二月二五日付準備書面(甲五)の主位的請求についての二・(二)・9・(5)において「昭和四七年四月二一日売買残代金三一二、七八〇円の債権差押処分を行なつた。」と陳述した。
2 被上告人局長は、一審の昭和五四年一月二三日付準備書面の第二(原告らの昭和五三年一二月二五日付準備書面(甲五)に対する答弁)の九・5において、前記1の陳述を認める旨の答弁陳述をなしている。
3 したがつて、本件不動産の売買残代金が差押えられた日が昭和四七年四月二一日であつた事実は、被上告人局長により民事訴訟法二五七条規定の自白をなしているものであるから、争いのない事実である。
四、主位的請求2の訴えの適法性について
1 本件主位的2(徴収処分等取消)の訴えは、仮に主位的請求1(更正処分等取消)に取消原因がなかつた場合においても、徴収処分等に取消原因があるとして、当該請求をなしたものであり、これは主位的請求1に対する予備的追加的併合請求と同質とみなしうるから、行政事件訴訟法一五条ならびに二〇条を類推準用するか、ないしは同法八条に規定する正当事由条項を適用すれば、主位的請求1において不服申立前置ならびに出訴期間が遵守されている以上、主位的請求2単独の請求とは異り、紛争の実質的同一性ないし実体関係の同一性により主位的請求2の訴えが仮に形式的に出訴期間経過後に提起され、また不服申立前置手続を欠いていても、出訴期間遵守の関係では主位的請求1の訴え提起時に提起されたものとみなしてよく、また前置手続が履践されたものとみなして差しつかえないと解されるべきである。徴収処分単独でも正当事由が認容された判例さえある。
譲渡所得税に関する更正請求、審査請求がいずれも棄却された場合においては、同じ実体関係を理由とする右譲渡所得に係る所得税の滞納による差押処分に対して再調査ないし審査請求を経ずに出訴しても、正当な事由があるものと解すべきであることについて。(横浜地裁昭三三・一一・二八、行集九・一二・二六四一)
2 大次郎が本件動産の差押処分を了知していたとしても、本人はこれが自己個人の所有財産とは信じていなかつたし、その差押公示書の日付には無効と言い得る重大な瑕疵があり、かつ本件不動産売買残代金ならびに出資金の差押処分についても徴収担当官の「売買行為ならびに会社設立行為については法的に問題がない。」との言辞を信じ、それならば更正処分の取消があるまで受忍できるとして各差押処分については不服申立期間を徒過したものであるが、これら徴収庁の行為は結果として大次郎の不服申立の期間的権利を奪うところの欺罔的・眩惑的行為であつたというべきであり、信義則上当然、国税通則法一一五条一項三号、行政事件訴訟法八条二項三号に規定する裁決を経ない正当事由ありとみなすべきである。
3 また原判決は右正当な事由がない根拠として、徴収処分の進行により著しい損害を受けるおそれについての立証がないというけれども、本件動産は上告人興平の職業遂行上不可欠の要件であり、公売されては職業遂行上支障をきたすことが明らかであるから使用許可申立により本件動産の使用許可がなされていた事実(乙第四号証の1)があることにより本件動産が上告人興平の職業遂行上不可欠なものであることは立証されているとともに、もし本件訴えの提起がなかつたときは、被上告人の裁量次第によつてはこの許可を一方的に取消し公売に付しうる可能性を有して、そのときは生計を維持することができなくなるなどの回復困難な著しい損害を受けるものであるほか、現に補助参加人所有不動産になれた仮処分の登記は長年放置されたままであり、そのため担保物件としての利用もできなく、老朽化した建物の修繕も思うようにできない状態においているという実損が生じている現状ならびに本件訴訟においても弁護士を代理人に依頼する経済的余裕がなく、本人訴訟の現状に耐えており、訴訟に関する専門的法律知識等の無知の故に不測の不利益を受けるおそれに現に直面している事実を裁判所が熟知しながら、ほかに何を立証すれば正当な事由とみなしてもらえる程の著しい損害のおそれの立証となるのか、上告人らには理解できなく原判決にはその具体的な指摘の判示もなされていない。
4 従つて、国税通則法一一五条一項三号所定の正当事由ならびに行政事件訴訟法八条二項二ないし三号に規定する正当事由ありと解しうるから、主位的請求2の訴えは適法であり、これを不適法な訴えとした原判決は法の適用ならびに解釈に誤りがあり、かつ著しい損害を受けるおそれについての立証不足については民事訴訟法一二七条一項の釈明義務違背がある。
五、本件徴収処分等の違法性について
1 本件課税処分には所得の帰属・認定の誤り、更正理由附記不備、差押公示書の瑕疵による確定手続順位への抵触等の違法事由があり違法であるが、仮に右課税処分取消の違法事由が認容されなかつたとしても、本件差押公示書の瑕疵は前記第三点に記した通り、昭和四六年四月二一日に差押の効力が発生したものと解されるため徴収手続順位に抵触する違法ならびにその違法性の承継により各差押処分はすべて違法無効である。
2 仮に前記1の事由による各差押処分の違法が当然無効の違法でなかつたとしても、違法である以上時効中断効力はないから徴収権は消滅に帰しており、その結果として本件各差押処分もまた当然無効となる。
3 また本件仮処分申請ならびに民訴提起行為は、広義の徴収処分の中の滞納処分目的の保全処分行為として、その先決行為ならびに手続順位に重大な瑕疵ないし信義則上の違背行為となるべき原因が存する場合の右申請及び提起両行為は、行政事件訴訟法第三条に規定する行為として取消しの対象となり、瑕疵ある行為として違法無効である。詳しくは後記六に陳述する。
4 従つて、課税処分ならびに徴収処分等に何ら違法無効事由なしとする原判決には納得できない。
その他の徴収処分等の違法事由については一・二審の準備書面にて詳細に主張した通りである。
六、仮処分申請及び民事訴訟提起行為の違法性について
1 上告人らが敢えてこの違法を主張するのは、民事係争裁判所において同趣旨の主張をしたところ、担当裁判官がこのような行政手続上の瑕疵についての判断は民訴上の対象ではなく行政上の対象であると言われたので本件において主張したものであるが、原判決はまたこれを民事訴訟上のものであるとして却下したことは、判断の回避ないしたらい回しであり、事実上、上告人らをはじめ補助参加人に対し最も直接に著しい不利益を負わせている現状に対して何ら救済の可能性も示さず、上告人らに徒らに係争を強いるものであつて、訴訟経済上も納得できない。
2 仮処分申請及び民訴提起行為自体は民事訴訟上のものであるとしてもその違法の因果関係を有する行為が、行政手続間ないし行政行為と行政処分を目的とする民訴行為間に存する場合には、その行為の先後関係に違法自由があるかどうかにつき行訴上その当否を判断することは何ら差しつかえなく、かつそうすることの型が訴訟経済上も有益であるから、これについての判断を回避して本件訴えを不適法とした原判決には納得できない。
3 さらに、一審の昭和五六年七月二日付準備書面(甲一二)の一〇において、仮に不動産売買契約が詐害行為ないし虚偽表示に当るものであつたと仮定してもこれを覚知しながら売買残代金債権の差押を行なつたことは、積極的追認ないしは追認の疑制行為あるいは取消権の放棄行為であるから、右債権の差押という先行行為に対して後行行為である仮処分申請及び民訴提起行為は手続順位についての違法な行為であると主張していたところ、被上告人局長は昭和五八年一二月二二日付の差押解除通知書により右債権差押の解除を行なつた事実がある。
4 しかしながら、右債権差押処分を行なつた昭和四七年四月二一日より一一年以上の期間経過後に右差押の解除を行なつたからといつて、昭和四七年四月二一日に徴収手続の進行方向が決せられ、公法上の意思表示行為として右債権差押を行なつた事実行為ならびにこれにより長期間に渉り法的に問題なしと信じていた上告人らに対する信義行為は取消し得ず、信義則上ないし禁反言の原則上、右債権差押を前提とする徴収手続方向に反した仮処分申請及び民訴提起行為が違法であつた事実は明白であるから、右債権差押解除を行なうならば、同時に仮処分命令取消の申立ならびに民事請求を取下げるべきであるところ、何らなされていないことも違法というべきである。
七、補助参加人の訴訟行為との関連における違法について
1 補助参加人が本件訴訟に補助参加した趣旨は、本件裁判の結果に法律上の利害関係を有することは言うまでもなく、補助参加人所有の不動産登記の抹消登記手続を請求された別件民事訴訟においては被上告人らの事務責任の帰属する国を相手方として虚偽表示ないし詐害行為であるか否かを争点としているものであり、本件訴訟の結果は民事訴訟法第七〇条によつて重大な影響を及ぼす効力があることは明らかであるから、右主要な争点に関する事実認定は厳格かつ適法になされてしかるべきものであるとともに、現に係属中の民事訴訟の訴訟行為との関連については、できうる限り裁判の統一が図られてしかるべきものである。
2 しかるに、前記第一点に述べたように、上告人提出の全証拠を勘案すれば、協力会が「大次郎及び原告親子が中心となつて」開始されたものでも、「協力会を主宰運営するため自己を協力会の会長に選任した」ものでもなく、「大次郎及び原告親子を除いたその他の役員は協力会の運営、財産管理を大次郎らに一任してこれに関与することはほとんどない」とか、「出納管理が大次郎の自由意思によつて行なわれていた」などの事実認定はなし得ないにもかかわらず、かかる違法な事実認定を前提として原判決は、協力会を大次郎個人の営利事業と断定していることは、右別件民事訴訟における補助参加人の立場を著しく不利にする違法な判断であり、このような違法な事実認定は全く許されない。
3 さらに、裁判の統一性からみれば、不動産売買残代金にかかわる債権差押の年月日が昭和四七年四月二一日であつたか否かにつき、被上告人らの事務責任の帰属する国が補助参加人を相手方とする別件民事訴訟上なした自白を「別件訴訟における自白によつて本件において自白が成立するものでない」との判示をなした原判決は、民事訴訟法六四条による補助参加の規定が訴訟経済と裁判の統一を計ることを目的として規定されていることの趣旨に反するものであり、ましてや、別件とは言つても、原告国の債権は、本件更正処分による課税債権を基本租税債権とし、かつ被上告人らの事務の権利義務の最終的責任者である国が当事者となり、かつ被上告人局長のなした徴収手続上の瑕疵を争点とする訴訟行為として成立している自白について、本件訴訟において当事者ないし補助参加人としてその自白を引用主張しているのであるから、同法六八条二項の趣旨からしてその自白は本件訴訟上有効とみなされるべきであるにもかかわらず、これを認めていない原判決は訴訟手続上の違法があると言わざるを得ない。
八、債権差押年月日認定に関連する違法について
1 甲第九三号証の陳述書の内容につき二審本人尋問において原告興平は、乙第一号証の債権差押調書の債権差押通知書(第三債務者あて)受領らんの日付は空欄となつているが、これは大次郎が上らんの差押調書謄本(滞納者あて)らんに大次郎が昭和四七年四月二一日と記入しているから、同年月日の記入を省略したものである旨の証言、ならびに島徴収官が同日差押調書を提出し押印を求めた時に「不動産売買とか会社の設立について法的な問題はないからすぐ納めるように」と言つた事実についての証言が明白になされ、かつこれに対する被上告人側の反証は何らなされていないにもかかわらず、原判決は債権差押年月日を「昭和四七年四月二〇日」として事実認定をなしたことは明白な証拠に反する違法な事実認定であるとともに、経験則上も違背するものであり、かつ適法な事実認定に従えば信義則上も前記仮処分申請行為や民訴提起行為をなし得ないことになるにもかかわらずこれを認めていない原判決は違法である。
2 常識的にみても、協力会の収益金を課税物件とする税額の本件の徴収に当り、徴収事務手順上、協力会自体の主要な資産を差押える前に、複雑な確認・認定と判断を要する大次郎個人の補助参加人に対する売買未収債権を、しかも債務者かつ滞納者とみなされた大次郎に対する財産調査と事情聴取が完了して同人に債権差押通知をなす前に加えて第三債務者たる補助参加人の代表者でかつ本件原告である興平に対する財産調査ならびに事情聴取が完了する前に、補助参加人のみに対し債権差押を通知することはあり得ず、財産調査が昭和五七年四月二〇日ないし二一日の両日行なわれ、同月二一日に原告興平が末永徴集官の事情聴取を受け終了後、夕方帰り際に島徴収官が債権差押通知書を持参して署名押印を求めたものであることは、甲第九三号証と原告興平の証言により明らかに立証されているのであるから、その前日である同月二〇日に債権差押を通知することはあり得ないにもかかわらず、かかる事実認定をなした原判決は常識的経験則に違背するものである。
3 債権差押年月日が昭和四七年四月二一日であつたことはもちろん、「不動産売買行為ならびに会社設立行為については法的に問題はない」旨の島徴収官の言辞があつた事実は甲第九三号証ならびに二審本人尋問の原告興平の証言により明白に立証され、かつ被上告人側の反証は何らなされていない以上、これが事実と認定すべきものを論理則ないし経験則採証の法則上に違背して原判決は認めず、かかる事実認定の真偽次第によつては、論理則上ないし信義則上被上告人側がなした仮処分申請行為ならびに民訴提起行為は違法により取消されうるから、本判決の結果に影響を及ぼすものであり、かかる違法の存する事実認定をなした原判決は、手続上に過誤があり破棄されるべきものである。
九、本件行訴上の自白についての判示がなされず、違法な事実認定をなしていることについて
1 前記八に述べたとおり、裁判の統一性からすれば、別件訴訟における自白であつても、その当事者が被上告人の事務責任の帰属する国と上告人の補助参加人との間でなされた訴訟行為で、かつ上告人の基本租税債権債務の徴収手続に関する訴訟上の法律行為である場合には、訴訟法上のみならず信義則上から言つても有効成立していると解すべきものであるが仮に原判決のとおり、別件の自白が本件においても自白が成立するものでないと解されることが妥当であつた場合においても、前記三に記したように、上告人が控訴理由中(昭和五九年六月一九日付準備書面、第二の三)でなした本件行訴上の自白に関する上告人の主張に対して被上告人は反論することなくこれを争つていないのであるから当然のこと、また争つても民事訴訟法二五七条により本件訴訟上での自白成立が認められるべきものであり、そうであれば、論理則上ないし信義則上、仮処分申請行為ないし民訴提起行為は違法で許されないことになるから、本判決の結果に大きな影響を及ぼすことは自明であり、従つて、原判決は民事訴訟法二五七条の規定に違背する事実認定をなし、かつ適用すべき法令を適用しなかつた手続上の過誤として、同法三九四条の法令違背ないし同法三九五条一項六号の理由齟齬に当るものとして違法、破棄されるべきである。
第五点 原判決の第三位的請求についての判断・手続に過誤があるから違法である。
一、第三位的請求1(租税債務不存在確認)について
1 租税の徴収権の時効は援用を要せず、絶対的効力要件であり、本件租税債務不存在確認請求の原因は主として消滅時効にあるから当事者訴訟によるまでもない。
2 従つて、本件第三位的請求1の訴えを不適法として却下した原判決には誤りがあり納得できない。
二、第三位的請求3(租税納付責任不存在確認)について
1 相続人が限定承認(民法第九二二条)をした場合には、その相続人は相続によつて得た積極財産の限度で納税義務を履行すればよいとの国税通則法五条一項後段の規定により、その租税納付責任が相続財産に限定され、自動的に相続財産と承継税額の差額は、いわゆる責任のない債務になるものであるところ、大次郎死亡時までに過大賦課課税を是正しなかつた等の被上告人らの責に帰すべき自由に基き、相続人たる上告人らの自由意志による相続の選択権を奪つた代償として限定承認と同一の法効果を与えて上告人らを救済されるよう右通則法上の規定の適用を求めるものに過ぎないから格別当事者訴訟によるまでもない。
2 従つて本件第三位的請求3の訴えを不適法とした原判決は誤りであり納得できない。
三、国に対する訴えの提起について
1 仮に原判決に判示した通り、本件第三位的請求1及び3が当事者訴訟に該当するから被告不適格であるとの判断が妥当であつた場合に備えて行訴法一五条、一七条、一九条の規定により国を被告として一審釧路地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一号事件として本件第三位的請求1及び3についての主観的予備的追加的併合請求として、同一の趣旨の訴えを提起していたものを先に判決したことは訴訟手続上の過誤と言うべきである。
四、第三位的請求2の(一)及び(二)の請求について
1 本件第三位的請求2の(一)及び(二)の請求は、課税庁たる被上告人署長が更正処分のための税務調査ならびに異議申立に対する再調査、加えて不服審判所長への資料提出等により、大次郎の昭和四六年分の所得について、最初に判断を下すべき機会を有しながら、上級庁の指示のためか、ないしは成績主義のためか、多額の純損失が発生していることを知りながら、昭和四六年分の減額更正をなさず、大次郎においては、自ら減額更正を請求しうる法的根拠を本件更正理由附記によつては理解し得ず、かつ過大更正が是正されないまま、純損失を申告することは過大更正を承認することになるためなし得ず、また、客観的事実としても役員会の存在、決算報告ならびに新聞報導等の事実があり、常識的法解釈によつては、協力会の収益金が大次郎個人の事業所得とみなし得ないのに、これを自認することを前提とする減額更正を自ら請求することは当時の事情からみて困難であつたし、しかも昭和四五年分にかかわる過大賦課課税が是正されないまま、裁決も長期に渉り廷引されたため、その減額更正請求と純損失の繰戻しによる還付制度を利用しうる機会を失してしまつた本件の場合においては、課税庁に第一次的判断権を留保する必要性は全く存在しない。
2 また上告人らが回復困難な損害を被つていることは、大次郎存命中に裁決がなされなかつた一事だけをとらえも上告人らが十分精神的損害を相続しているのみならず、経済上も現に実損が発生し発生するおそれがあることは、前記第四点、四・3に記した通りである。
3 したがつて、違法一般を審理しうる裁判所が課税庁たる被上告人署長に対し、第一次的判断権を留保すべき時期をすでに失し、かつその遠因が被上告人らならびに審判所長に帰すべき事由がある本件の場合において上告人らのために、裁決の合理的基準に合致した減額更正と純損失の繰戻し還付金の充当をなすよう義務付けることが行政権を侵害する違法とはなり得ず、むしろ行政の違法是正と憲法一四条一項の法の不平等原則上も必要であり、かかる訴えは適法な訴えと言うべきであるとともに、訴訟経済上も有益であるにもかかわらず、これを法律上の羈束処分に該当しないとして不適法とした原判決は不合理である。
4 本件義務付けは、上告人らに対し、何か格別新たな権利ないし利益を贈与せよとの行為を課税庁に求めているものではなく、単に昭和四五年分の大次郎の所得にかかわる裁決が法的に妥当であるというなら、その裁決の対象となつた昭和四五年分と全く同様の課税対象である昭和四六年分の協力会の収益金に対応すべき欠損金を、裁決が示した前年の所得の計算方法に基く算定結果としての減額更正をなし、期間計算主義から来る徴税の不合理と税負担の公平の見地から定められている純損失の繰返しによる還付を認め、これを前年分の未納税額に充当すべきことを被上告人らに求めているものであるから、羈束処分たる裁決の論理的帰結ないし一貫性を求める処分行為にすぎず、必ずしも羈束処分に該当しないとはいえない。
5 仮に、課税庁の裁量に委されている場合であつても、法が行政庁に裁量を認める趣旨は、あくまでも、行政庁の恣意に委ねる意味ではなく、よりよく公益の目的に合致し、合理的で公平な行政を実現するためであるから、その根底には比例の原則や平等の原則の条理が遵守せられるべきものとしてある筈である。
6 であるとすれば、本件義務付けが羈束行為の範囲内にあれば当然のこと、仮にそうでなくとも課税庁の裁量の範囲を侵害するものではなく、むしろ平等の原則に合致するものというべきである。
「行政庁は何らいわれなく特定の個人を差別的に取扱い、これに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである。」ことについて。(最判昭三・六・二四、民集九巻七号九三〇頁。)
第六点 原判決は憲法第三〇条、同三一条、同一四条一項に違背し違憲である。
一、租税法律主義の原則に対する違背について
1 甲第三〇号証ならびに乙第九号証(勧誘手紙文)の「本部へ送金されたお金は」の欄に明記されている通り会員から本部協力会へ送金された登録手数料は、第一に、本部の運営管理費に、第二に、交通傷害共済のために、第三に、会員利用施設建設基金の積立に費消されることを目的としたものであるが、かかる公益目的を有する収入を収入金額とする収益金を課税物件とすべきこと、ないしは課税物件とみなすことを規定した法律は存在しない。
2 前記1の収益金は組織の実体の如何にかかわらず、その代表者個人の事業所得とみなすとの法律上の規定も存在しない。
3 協力会は前記第一点の一・3・(2)および(4)に述べたように、無限連鎖講防止法の二条に定義する無限連鎖講には該当しないが、仮りに同講に当るとして同講の収益金はその代表者個人の事業所得として賦課すべきことを規定した法律は存在しないし、また同防止法が施行する以前に存在した組織にも同防止法を適用して課税すべきことを定めた規定は存在しない。
4 右防止法上、代表者としての認定要件についての規定は存在しない。
5 また独立課税単位としての権利能力なき社団の成立要件につき明確に規定した法律は存在しない。
6 税務署長は、将来制定されるであろう法律を見越して、事前に賦課認定課税をなし得る権限を有するとの法律も存在しない。
7 独立課税単位としての社団の成立要件に一つの欠陥でもあればその組織実体は代表者個人とみなすとの規定もない。
8 従つて協力会の収益金を大次郎個人に帰属せしめ課税するために適用されるべき法の格別の規定はないにもかかわらず、かかる課税処分を簡易附記によりなした被上告人署長の本件更正処分を適法として大次郎の納税義務を認めた原判決は、国民は法律によつて定められている以外の租税を納める必要はないという、租税法律主義の原則を趣旨として定められた憲法三〇条に違背し違憲である。
二、正当な手続と内容の保障の規定に対する違背について
1 青色申告ないし白色申告の如何にかかわらず、本件課税処分の更正理由附記の内容では、「申告を要す」理由が不明確・不十分であるとともに独立課税単位としての「権利能力なき社団」の成立要件に関する法律が存在しない以上、第一に、独立課税単位としての権利能力なき社団の具体的成立要件、第二に、その社団の収益金が課税物件となる、ないしはみなされる要件、第三に、その社団の代表者の資格要件ないしは認定要件、第四に、その代表者個人にその社団の収益金にかかわる納税義務の全てを負わせるべき法律上ないし経済上の帰属要件等の主要な要件についての明確な判断基準を確立すべき判示をせずに、不明確なまま、違法な事実認定を前提とし、かつ課税処分時に未だ施行されていない法律を適用した上、法律上定義されていない俗称用語を用いて法律判断を下し、一五年も前に加入活動を停止している協力会を原に社会的害悪をもたらしているかのような印象を与える予断をもつて判示を正当化し、結果として、恣意的・濫用的課税権の行使を課税庁に容認する簡易附記による更正を適法と判断した原判決は、公平かつ合理的な申告納税制度の基本原則とも言うべき「法律の定める正当な手続と内容の保障」を定めた憲法三一条の趣旨に違背するものであるから違憲である。
三、法の下の平等原則の違背について
1 前記二・1に記したように独立課税単位としての「権利能力なき社団」の判断基準となる諸要件に関する判例を確立すべき判示をなさずに、公知の事実として無数で多様に存在する権利能力なき社団ないし、その法概念の範ちゆうに属するか否かも判然としない類似組織・団体の代表者個人に対し、その組織ないし団体の収益金を事業所得として所得税を賦課課税することなく、前記第一点の一・1・(1)に記した抽象的判断の目安を示した判例のみを判断基準として採用し、結果、ひとり協力会の社団性が否認せられ、かつその否認を理由とする論理の飛躍をなして結論し、代表者たる大次郎個人にその収益金にかかる納税義務を負わせることを適法と解した原判決は、公平かつ合理的な申告納税制度の基本原則とも言うべき法の下の平等原則を趣旨として定められた憲法一四条一項の趣旨に違背し、不公平で、かつ違憲である。